ドラマ『陸王』に通じる日本のシューズ職人魂。
あるスポーツ店の物語
短期連載〜消えたハリマヤシューズを探して(5)
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■日本製にこだわったハリマヤの職人気質■
テレビドラマ『陸王』(原作・池井戸潤)は視聴率も好調で、いよいよストーリーも佳境に入ってくる。このドラマの重要なテーマのひとつは、日本の"ものづくり"にかける心意気だろう。それは今から100年以上前、東京高等師範学校の学生・金栗四三(かなくり しそう)と、東京・大塚の足袋店ハリマヤの主人・黒坂辛作(くろさか しんさく)が出会ったことから生まれたマラソン足袋の、その後にも通じるものがある。
2人がつくったマラソン足袋は改良を重ね、「ハリマヤシューズ」として多くのランナーに愛され、各地の競技会で好成績を収める。高度経済成長によって日本が豊かになり、スポーツを楽しむ人々が増えるにつれて、シューズメーカーのハリマヤ運動用品もまた発展し、辛作から数えて3代目、孫の代へと経営も移っていった。当時、ハリマヤはその発祥の地、東京・大塚に本社を構え、北陸地方にいくつかの生産拠点を持っていた。
ハリマヤの顔となった3本ラインも機能面から付けられた
そのひとつ、コシヒカリで知られる新潟県の六日町では、廃校になった校舎を改修してシューズ工場にしていた。かつてハリマヤの社員だった千葉茂が当時を振り返る。
「廃校は教室の壁をぶち抜けば、パーツの裁断、縫製、ソールの圧着といったシューズの生産ラインを作るのに都合がよかったんです。体育館に配送センターを作って、校庭にトラックを入れて出荷しました。でも、ドカ雪が降ると工場が閉鎖になってしまってね」
千葉は入社して間もなく六日町の工場に研修に行かされた。製造ラインに入り、実際にシューズを作ることでマラソンシューズのなんたるかを知るのだ。
ハリマヤの社内には、絶えずシューズ開発の最先端をいくという自負があった。ハリマヤが新技術を導入し、他社が追従する。たとえばシューズのサイドにある3本のライン。そもそもがデザインではなかった。
「昔のシューズは布製なので、走っているとどうしても靴が膨らんで足元がぶれます。そこで布の伸び止めとしてハリマヤが他に先駆けてラインをつけたんです」(千葉)
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