まるでドラマ『陸王』のように、
草創期の箱根駅伝を足袋職人が支えた (5ページ目)
下り坂の衝撃をいかに吸収し、連続するカーブでいかに横ブレをなくすか。1月の箱根は路面が凍結していることも珍しくなく、シューズの性能が勝敗を左右する。
そこで谷口はハリマヤに、箱根駅伝のための特注シューズを作ってもらった。
「僕は踵が厚いほうが好きなので、踵から土踏まずを高めにして、なおかつ下り坂の衝撃に負けないように反発を強くするため、硬いソールに改良してもらいました」
谷口はその特注シューズを履いて、2年の時に区間賞、3年では区間新記録を出し、さらに4年でも自身の区間記録を塗り替えてみせた。
「そうだ、あそこに行けばあるはずですよ!」
谷口は思い出したように声を弾ませた。
「あそこ」とは、芦ノ湖のほとり、往路のゴール地点であり、復路のスタート地点だ。そこに箱根駅伝ミュージアムがあり、35年前に谷口が特注した黄色のハリマヤシューズが展示されていた。シューズとともに飾られた長袖のランニングシャツの胸には「HARIMAYA」のロゴも見える。
谷口が着用したシャツにつけられたハリマヤのロゴ
6区は朝一番のスタートで、標高の高い1月の箱根は凍てつく寒さだ。谷口が「自分は寒がりだから、長袖のシャツを作ってもらえないか」と頼んだところ、シューズとともにハリマヤが用意してくれたのだった。
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