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ドラマ『陸王』を地で行く
「足袋職人のシューズ」が本当にあった (3ページ目)

  • 石井孝●文・撮影 text & photo by Takashi Ishii

 情報収集に行き詰まりを感じていたとき、偶然にもハリマヤの2代目社長の名前を「大塚仲町町会」の歴代町会長のなかに見つけた。現在の地名に「大塚仲町」は存在しない。文京区役所に問い合わせ、その町会のエリアを特定できたのが数日前のことだった。

 蒸し暑さにあえぎながら、春日通りの坂を上りきった先にいよいよ大きな交差点が見えてきた。その付近一帯がかつての「大塚仲町」だ。

 照りつける太陽を避けて、交差点の手前にある角を曲がり、日陰に逃げ込んだときだった。ある建物の壁面に黒い御影石の石碑がはめこまれているのに気づいた。熱気を吐き出すエアコンの室外機に隠れるようにあったその石碑に、なにやら文字が見える。顔を近づけて文字をひとつひとつ目で追う。鼓動が高まり、背中に冷たい汗がつたうのを感じた。

 そこには「金栗足袋発祥之地 黒坂辛作」と刻まれていたのだ。

 金栗足袋とはハリマヤ足袋のことだろう。ひっそりと置かれたこの石碑に、日本マラソン史の源流を捜し当てたかのような興奮を覚えた。ハリマヤシューズの伝説は、日本マラソンの祖といわれる金栗四三と、金栗を支えた足袋職人・黒坂辛作の物語でもある。ふたりの邂逅(かいこう)がなければ、ハリマヤシューズはこの世に生まれなかったのだから。

 埋もれていたハリマヤシューズの歴史をひもとくには、明治時代にまで遡らなければならない。石碑の前に佇みながら、100年前のこの地に思いを馳せた。

日本のマラソンシューズの歴史はここで始まった日本のマラソンシューズの歴史はここで始まった

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