ドラマ『陸王』を地で行く
「足袋職人のシューズ」が本当にあった (2ページ目)
■路地裏にひっそりたたずむ不思議な石碑■
まだ5月だというのに真夏日を記録した日の午後、ハリマヤシューズの起源を訪ねて、東京メトロ茗荷谷駅から春日通りを大塚方面へと歩き出した。通りの右手には筑波大学東京キャンパス、左手にはお茶の水女子大学がある。この通りを逆にたどれば、中央大学、さらに先には東京大学があり、一帯は日本でも有数の文教地区として知られている。
春日通りと不忍通りが交差する付近を目指して、ゆるやかな坂道をハンカチで汗をぬぐいながら上る。平成の時代が始まって間もない頃、日本がバブル景気に沸くなか、忽然とこの世から姿を消したハリマヤシューズの原点、かつてハリマヤ足袋店があった場所がそのあたりのはずだった。
歩きながら、ここに至るまでを思い返してみる。30年以上も前のスポーツ用品業界誌で、廃業する直前の本社の所在地は確認できた。しかし、そこは雑居ビルの一室を事務所にしていたにすぎず、実際にハリマヤはどこで創業し、どのように発展し、どうして幕を閉じたのか、その多くは謎に包まれていた。
独特のサイドラインが印象的なハリマヤシューズ
スポーツ用品業界の古老や老舗スポーツ店の店主、当時ライバルだったシューズメーカーの古参社員にも訊ねたが、ハリマヤについての確たる話を得ることはできなかった。わかったことといえば、日本が参加した初めてのオリンピックで、金栗四三がハリマヤの足袋を履いてマラソンに出場したという事実だけだ。金栗四三と聞いてもピンとこないかもしれないが、グリコのマークのモデルになった人物だと言えば、たいていの人が驚きの声とともに理解できるだろう。もう100年以上も前の話だ。
2 / 5