出雲で「勝ち方を知った」東海大は、全日本と箱根もトップを奪えるか (3ページ目)
「自分がアンカーでいることで他の大学に脅威を与えられたと思っていましたし、自分が最後にいることでみんなが安心して走ってくれたらと思っていました。あと、最後に並んできたら競って勝ってくれるだろうとみんな思ってくれていたと思います。その期待に少しは応えられたかなと思います」
關のアンカー構想は夏前からあった。両角監督が關に「おまえが監督ならお前自身をどこで使う?」と聞いた時、關は3区とアンカーと答えたという。すると、両角監督は「自分が出てキツイなっていうところを思い描いていなさい」と伝えたという。その時から關の意識にはアンカーというポジションが刻まれた。そうしてこの日に向けて万全の準備をしてきたのだ。
「みんなのおかげで最後はラクに走れたので、それは助かりました」
關は、トップで襷をつないでくれた仲間に感謝しつつ、走った。優勝のテープを切る時は、疲れていたが格別な気分だった。胴上げされて、この上ない幸せを感じた。
レース後、両角監督は狙い通りのレース展開に満足そうな笑みを見せた。
「高校(佐久長聖)の都大路で優勝してから10年目、ホッとしましたし、ようやく第1段階を通過できたかなと思います」
東海大を率いて7年目、初のタイトルは特別なものがあったはずだ。昨年、この出雲でタイトルを手にするチャンスもあったが、アンカー勝負で負けた。今回はそのアンカーで突き放して、優勝した。
今回、優勝の最大の要因は何だろうか。
「阪口の成長ですね。1区を任せられる力をつけたことがチームとして非常に大きかったです。レース自体も終始先頭にいて、様子を見て、レースを支配していました。涼しければもっと行けたと思うんですが、阪口が流れを作ってくれたのは本当に大きかったと思います」
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