【月報・青学陸上部】大苦戦の
全日本大学駅伝。裏で何があったのか (2ページ目)
「あまり寝られなかったなぁ。やっぱり緊張していましたねぇ」
表情がいつもと異なり、ちょっと硬い。出雲駅伝の時も就寝後、すぐに起きてしまった。上級生としてエース区間の3区を走り、結果を出さないといけない。そのことを意識しすぎるあまり、過度の緊張状態に陥ってしまった。結局、自分の走りができず、「4年生に助けられたので、次(全日本)はリベンジしたい」と、この日を迎えたのだ。
だが前日、下田を少しナーバスにさせることが起きた。大会では前々日に出走メンバーが発表され、前日の最終メンバー発表の際、3名まで選手を入れ替えることができる。各大学はライバル校の出走メンバーを見て選手を変更するのだが、東洋大は1区をエース服部弾馬(はずま)に変更し、下田にぶつけてきたのだ。想定内のことだったが、下田にとっては服部を意識せざるを得なくなり、駆け引きが重要になってくる。どうレースを展開すべきか。そのことが下田の表情を硬くさせていた。
午前8時5分、27名の選手がスタートした。熱田神宮前を飛び出した選手を追うように監督が乗ったバスと報道バスが動き出す。
報道バスは、その名の通り報道陣が乗るバスのことだ。45名ほどのプレスが乗り、いくつかのポイントで停車し、取材ができるようになっている。バスの中にはモニターがあり、レースの中継が見られる。
1区(14.6km)、下田は中間順位を維持し、周囲の動きに注意を払いながら走っていた。5km15分というスローな展開にペースを上げようと前に出た時もあったが、すぐに中位に戻った。
レースに変化が起きたのは給水ポイントだった。道路の中央寄りを走っていた下田が給水をしようと歩道側に寄り、取ろうとした瞬間、服部がスパートをかけたのだ。「この瞬間を狙っていた」という服部の仕掛けに下田は驚き、給水を取り損ねてしまった。気温はスタート時点で13度だったが、徐々に上がっていた。
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