2015.02.08

元日本代表・京谷和幸が車椅子バスケとサッカーの二刀流宣言

  • 文●スポルティーバ text by Sportiva
  • 写真●五十嵐和博 photo by Igarashi Kazuhiro

盛りあげよう!東京パラリンピック2020(10)

現在は大学サッカー部の外部コーチとしてサッカーと携わっている京谷和幸氏元車椅子バスケット日本代表・京谷和幸氏インタビュー Vol.1
 車椅子バスケットの強豪・千葉ホークスに18年在籍し、日本代表としてパラリンピックにもシドニー、アテネ、北京、ロンドンと4度出場している京谷和幸氏。交通事故に遭うまでは、サッカーJリーグのジェフユナイテッド市原(現 ジェフユナイテッド市原・千葉)所属の選手として、また年代別の日本代表として活躍していた彼は、車椅子バスケを引退した2012年以降、サッカーの世界にコーチとして戻っていた。しかし、2013年に東京パラリンピックが決まると、再び車椅子バスケと関わることに。いったいどんな変化があったのか、語ってもらった。

伊藤数子(以下 伊藤) ロンドンパラリンピックで引退されてから、約2年半経ちました。現在はどういう活動をされているんでしょうか?

京谷和幸(以下 京谷) 引退した後にサッカーのC級指導者ライセンスを取って、今は千葉県の大学で外部コーチをやっています。週3回か4回ぐらい、多い時は5回ぐらいです。今のメインは、そこかな。講演活動やイベント活動ももちろん合間にやっていますよ。

伊藤 では、今はサッカーに費やす時間が多いんですね。

京谷 そうですね。ただ、サッカーの指導者として勉強していくつもりでいたんですけど、一昨年、2020年のオリンピック・パラリンピックが東京に決まったときに、やっぱり自分を育ててくれた車椅子バスケットに背を向けてサッカーだけをやっていていいものだろうかと思ったんです。

伊藤 東京パラリンピックが決まったことで、車椅子バスケの存在が気になるようになったということですか?

京谷 なりましたね。実は引退してから1年は車椅子バスケとは距離を置いていたんです。1年はとにかく、何もできないし何もしないって決めていて。たまに体を動かしに行くとか、遊びに行くぐらいで、ほとんど関わるっていうことをしないでいました。

伊藤 あえてですか?

京谷 あえて。でも、千葉ホークスの練習とか、代表の練習を見学に行って、心地良さを感じたんです。その空気の心地良さを感じた時に、やっぱり自分にはなくてはならない存在だったんだなっていうのを感じて。それからですね、少しずつ自分の心が動いていったのは。