【平成の名力士列伝:玉乃島】度重なるケガにも不屈の精神で戦い続けた東洋大出身者初の幕内力士
好調時は横綱・大関とも互角にわたり合う力を発揮した玉乃島 photo by Jiji Press
連載・平成の名力士列伝68:玉乃島
平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。
そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、最高位は関脇ながら幕内で11度の2ケタ勝ち星を残した玉乃島を紹介する。
【兄と共に名大関の甥っ子として角界入り】
度重なるケガに泣かされながらも真摯な相撲道を貫き、左四つの正攻法の取り口で関脇も務めた玉乃島。福島県西白河郡泉崎村を出身地としているが、生まれは秋田県雄勝郡雄勝町(現湯沢市)で、東京都文京区で育った。父はタートル岡部の名で日本ジュニアミドル級とミドル級の2階級でチャンピオンになった元プロボクサーで、母は大関・清國の実妹。2学年上の兄も元十両の玉ノ国である。
小1で都内の相撲クラブで相撲を始め、中3の時には全国都道府県中学生相撲選手権の個人決勝戦でのちの大関・雅山こと竹内雅人を破って優勝。全国中学校相撲選手権でも両者は個人戦決勝戦に進出し、この時は竹内が勝って中学横綱に輝いた。
高校は石川県の名門、金沢市立工業高へ相撲留学。1年生からレギュラーに名を連ね、全国トップクラスの実力を誇り、高3の時には全日本選手権にも出場している。高校卒業後は兄を追って東洋大へ進学。入学早々からレギュラーに抜擢され、チームの主力として活躍したが、兄が東洋大卒業後、プロ入りするのに伴い、自身も2年で大学を中退して兄弟揃って元関脇・玉ノ富士の片男波部屋へ入門した。
平成10(1998)年3月場所、玉ノ洋の四股名で玉ノ国を名乗る兄とともに幕下最下位格付け出しで初土俵を踏む。名大関の甥っ子が角界入りするとあって大いに注目を浴びた。
所要9場所で関取に昇進し、新十両場所でも10勝をマーク。すぐにでも入幕かと思われたが、その後は2場所連続負け越しで幕下へ逆戻り。1場所で関取復帰を果たすと十両は3場所で通過し、平成12(2000)年11月場所で新入幕を果たした。
東洋大出身としては初の幕内力士となったが、新入幕場所は7勝8敗の負け越しで十両に陥落。12勝で十両優勝を遂げて1場所で幕内にカムバックすると、片男波部屋が生んだ横綱・玉の海が大関まで名乗っていた「玉乃島」に四股名を改めた。
"改名効果"はてき面だった。平成13(2001)年3月場所は、2日目は寺尾の引き落としに屈したが、翌日から8連勝の快進撃。懐の深さを生かした、左四つのスケールの大きな相撲で優勝戦線にも顔を出すと、前頭10枚目にもかかわらず11日目からは武双山、魁皇と大関2連戦が組まれた。さすがに連敗を喫したが、13日目は朝青龍を力強い相撲で押し倒して勝ち星を2ケタに乗せると、千秋楽に11勝目を挙げて初の三賞となる敢闘賞を受賞。
大きく番付を上げた翌場所は上位陣の壁に阻まれ5勝に終わったが、続く7月場所も優勝した大関・魁皇の13勝に次ぐ12勝の星で2度目の敢闘賞を受賞し、9月場所は一気に新小結に昇進した。
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著者プロフィール
荒井太郎 (あらい・たろう)
1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。

