【平成の名力士列伝:旭豊】常識にとらわれず己の信念を貫き続ける「角界の暴れん坊将軍」の稀有な相撲人生
現在は横綱・豊昇龍の親方として知られる旭豊は、その取り口で土俵を沸かせた photo by Jiji Press
連載・平成の名力士列伝69:旭豊
平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。
そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、端正な顔立ちと多彩な取り口で人気を博し、親方としても横綱を育て上げた旭豊を紹介する。
【新弟子時代の苦難を乗り越え上位キラーに】
俳優の松平健によく似た端正な顔つきから、人呼んで「角界の暴れん坊将軍」。長身で柔らかい体を生かした寄りや投げで三役も務めた旭豊は、金星4個の上位キラーでもあり、平成前期の土俵で確かな存在感を放った人気力士だった。
昭和43(1968)年生まれで愛知県春日井市出身。7人きょうだいの上から2番目(次男)で、幼い頃から空手に親しみ、中学時代は水泳の背泳ぎの選手としても活躍したあと、東邦高校に進んだ。相撲経験はなかったが、父の営む建設塗装会社が元大関・旭國の大島部屋の7月場所宿舎に関わったことから入門を勧められ、高校卒業を機に角界入り。昭和62(1987)年3月場所、前相撲で初土俵を踏んだ。
ところが、初めて序ノ口で番付に載った昭和62(1987)年5月場所、リウマチを患って全休。番付外に落ちてしまった。2カ月の入院を経て、9月場所の前相撲で復帰し、その場所の新弟子たちに交じって土俵に立った。11月場所で再び序ノ口で番付に載ったが、その初日にハワイ出身の巨漢・武蔵坊戦で左足首を捻挫して休場。またしても番付外に落ちた。
翌年3月場所の前相撲で復帰。5月場所、3度目の序ノ口で初めて皆勤して5勝2敗と勝ち越し、ようやく力士として本格的なスタートを切ることができた。
入門直後、続けざまに試練に見舞われたあとは順調に番付を上げていく。幕下では壁に当たりながら乗り越え、平成5(1993)年11月場所で新十両。平成7(1995)年3月場所で新入幕を果たした。
191センチ、143キロの均整の取れた長身の体。マゲのよく似合う整った顔立ちは俳優の松平健にそっくりと評判で、たちまち人気力士となった。
人気の要因は外見だけではなく、右四つに組んでの鋭い寄りや思いきりのよい投げなどの相撲ぶりにもあった。東前頭6枚目で迎えた平成8(1996)年3月場所3日目には、貴乃花を肩透かしで破って初金星。この場所14勝1敗で優勝した横綱に唯一の土をつけるなど9勝を挙げ、初の三賞となる殊勲賞に輝いた。
一気に新小結に昇進した5月場所は8勝7敗と勝ち越して小結の座を守り、7月場所は7勝8敗と負け越したものの初日に大関・若乃花を撃破。東前頭筆頭に落ちた9月場所は、10日目に横綱・曙を取り直しの末に右下手投げで投げ捨てて2個目の金星を獲得し、9勝して敢闘賞に輝き、11月場所で小結に復帰。その後も平成9(1997)年11月場所では優勝した貴乃花を上手投げで破って唯一の土をつけ、翌年1月場所では曙を下手出し投げで破って4個目の金星を奪うなど、上位キラーの実力者として幕内上位に定着した。
著者プロフィール
十枝慶二 (とえだ・けいじ)
1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。

