【平成の名力士列伝:出島】速さと強さを備えた出足を武器に息長く活躍 武蔵川部屋隆盛の象徴的力士に (2ページ目)
【兄弟子の援護も受けた逆転初優勝劇で武蔵川部屋の隆盛に】
頭からぶち当たる出足から相手を一気に土俵際に持っていくスタイルでスピード出世 photo by Jiji Press
鮮烈な印象を土俵に刻んだのが平成11(1999)年7月場所だった。
新関脇の場所で負った左足首のケガから立ち直り、関脇に復帰して2場所目の出島は、序盤から持ち前の出足が冴えわたり、快進撃を続けた。7日目に曙、9日目に貴乃花と2横綱を圧倒。1敗の曙を1差の2敗で追って迎えた千秋楽、関脇・栃東を寄り切って2敗を守ったあと、この場所を新横綱で迎えた兄弟子、武蔵丸が曙を破る絶好の援護射撃を果たした。
2敗で並んだ曙との優勝決定戦では、焦りの見える曙を立ち合い、左に動いてかわして泳がせ、押し出して快勝。部屋ぐるみの劇的な逆転Vに加え、三賞も総嘗めして大関に駆け上がった。
当時の相撲界は、元大関・貴ノ花の二子山部屋が、横綱に貴乃花と若乃花、大関に貴ノ浪らを擁し、長らく一大勢力として君臨していた。現役時代に貴ノ花と競った武蔵川親方は、そんな二子山部屋に対抗心を燃やしていた。熱心な指導の甲斐あって武蔵丸が平成11(1999)年3月、5月と連覇して横綱昇進。その直後に出島が初優勝を手土産に大関昇進したことで部屋はますます勢いに乗り、平成12(2000)年には、出島の先輩の武双山や後輩の雅山も大関に昇進。1横綱3大関がそろった武蔵川部屋は、二子山部屋勢をしのぐ一大勢力となる。出島の活気のみなぎる相撲は、躍進する武蔵川部屋の象徴となった。
新大関から2場所連続で10勝するなど安定した成績を残したあと、右足首のケガや蜂窩織炎のため在位12場所で大関の座を明け渡したが、平幕に陥落してからも、鋭い出足がはまった時の威力は抜群で、横綱・貴乃花、朝青龍らをしばしば餌食にした。平成19(2007)年5月には東前頭10枚目で12勝を挙げ、初優勝して大関昇進を決めた時以来47場所ぶりの三賞となる敢闘賞を受賞。2度三役に復帰しながら大関返り咲きはならなかったものの、息長く活躍した。
平成21(2009)年7月場所、十両陥落が決定的となって引退。年寄大鳴戸を襲名し、兄弟子の武双山が継いで武蔵川部屋から名を改めた藤島部屋付き親方として指導にあたりながら、審判委員を長く務めている。
【Profile】出島武春(でじま・たけはる)/昭和49(1974)年3月21日生まれ、石川県金沢市出身/本名:出島武春/所属:武蔵川部屋/初土俵:平成8(1996)年3月場所/引退場所:平成21(2009)年7月場所/最高位:大関
著者プロフィール
十枝慶二 (とえだ・けいじ)
1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。
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