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【平成の名力士列伝:琴光喜】「アマ横綱」は「最年長大関昇進」 運命に翻弄され続けた長い道のり

  • 荒井太郎●取材・文 text by Arai Taro

大器ながら大関まで長い道のりとなった琴光喜 photo by Jiji News大器ながら大関まで長い道のりとなった琴光喜 photo by Jiji News

連載・平成の名力士列伝38:琴光喜

平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、琴光喜を紹介する。

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【アマチュアでの実績どおりに発揮された実力】

 うまさと強さを兼ね備え、最終的に大関の地位も射止めた琴光喜だったが、そのあまりにも長い道のりは本人の与(あずか)り知らないところで、運命に翻弄され続けたような気がしてならない。

 勝負を「たら、れば」で語るのは無意味であるが、この男が最初に巡ってきたチャンスをしっかり掴んでいれば、その後の相撲人生は今とは全く違うものになっていたであろう。

 トヨタ自動車勤務で同社相撲部監督だった父・田宮節男さんの指導もあって、小学生時代から全国トップレベルの実力を誇っていた。鳥取城北高では高2で高校横綱となり、高3で出場した全日本選手権では決勝まで勝ち進み、あわや久嶋(のちの幕内・久島海)に次ぐ高校生のアマチュア横綱誕生かと期待されたが、惜しくも快挙を逃した。

 日大進学後は2年次から2年連続でアマ横綱、3年次からは学生横綱にも連覇で輝くなど、大学時代は27個のタイトルを奪取し、鳴り物入りで佐渡ヶ嶽部屋に入門。平成11(1999)年3月場所、幕下60枚目格付け出しで初土俵を踏むと期待どおりの出世を遂げ、所要7場所で幕内に昇進となった。

 平成12(2000)年5月場所、颯爽と新入幕場所を迎えるはずだったが、場所前の稽古で負傷してしまい、無念の全休。3場所ぶりに幕内に返り咲いた同年11月場所で、琴光喜はいきなり大ブレークを果たす。9日目に早々と勝ち越しを決めると優勝戦線にも名を連ね、前頭9枚目の上位対戦圏外にもかかわらず11日目には横綱・武蔵丸との1敗同士の対戦が組まれた。

 果たして、この場所が実質的な幕内デビュー場所の新鋭は技ありの鮮やかな右からの下手出し投げで横綱を土俵に這わせ、横綱初挑戦で初金星を獲得。横綱・曙とともに1敗で優勝争いのトップに並んだ。翌12日目は横綱・貴乃花に屈して2敗となったが、その後は出島、雅山、武双山と3日連続で大関を撃破して13勝をマーク。14勝で優勝した曙にはわずかに及ばなかったが、殊勲、敢闘、技能の三賞をトリプル受賞する活躍ぶりで強烈なインパクトを残した。

 翌場所は一気に新関脇に昇進し、11敗の大敗で壁に跳ね返されたが、前頭2枚目で迎えた平成13(2001)年9月場所は1横綱2大関を撃破して13勝。初優勝を成し遂げるとともに殊勲、技能と三賞もダブル受賞。関脇に返り咲いた翌11月場所は9勝をマークすると、続く平成14(2002)年1月場所は初日から9連勝とし、千代大海、栃東の両大関とともに優勝争いのトップに立つと同時に、大関昇進のムードも高まった。

 10日目から2連敗で優勝争いからは一歩後退するが、大関取りの話題はますます熱を帯び、千秋楽は関脇・朝青龍を押し出して12勝目。直近3場所の勝ち星は優勝を含む34勝となり、数字の上では何ら支障はなし。しかし、場所後の大関昇進は見送られた。14日目、入幕2場所目の格下の武雄山に敗れた相撲の印象が悪かったのが、その理由とされた。

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著者プロフィール

  • 荒井太郎

    荒井太郎 (あらい・たろう)

    1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。

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