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【平成の名力士列伝:出島】速さと強さを備えた出足を武器に息長く活躍 武蔵川部屋隆盛の象徴的力士に

  • 十枝慶二●取材・文 text by Toeda Keiji

武蔵川部屋の一員として平成中期の土俵を沸かせた出島 photo by Jiji Press武蔵川部屋の一員として平成中期の土俵を沸かせた出島 photo by Jiji Press

連載・平成の名力士列伝39:出島

平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、「出る出る出島」を称された目の覚めるような出足を武器に大関まで上り詰めた出島を紹介する。

連載・平成の名力士列伝リスト

【「出る出る出島」の出足を武器にスピード出世】

 色白の大きな体が立ち合いの一瞬、たちまちトップスピードに乗って相手にぶつかり、そのまま前へ出て相手を根こそぎ粉砕する。「出る出る出島」と呼ばれた目の覚めるような出足で一気に大関へと駆け上がった出島は、武蔵川部屋勢の一員として二子山部屋勢に対抗し、平成中期の土俵を活気づけた。

 相撲どころの石川県金沢市出身。小1から相撲を始め、金沢市立工高では高校横綱を獲得した。中央大に進学すると1年時からレギュラーとなり、全国学生選手権で中大の34年ぶりの団体優勝に貢献。その後も実力を発揮して4年間で11の個人タイトルを獲得したものの、学生横綱とアマ横綱の2大タイトルは逃してしまう。3年時に学生横綱に輝いたのは、同じ石川県出身の同学年で、少年時代からのライバルである、のちの関脇・栃乃洋(七尾商高-拓殖大)。この悔しさを大相撲の土俵で晴らそうと、大学の先輩、武哲山(十両)のいた武蔵川部屋に入門し、平成8(1996)年3月、幕下最下位格付け出しで初土俵を踏んだ。

 幕下も十両も3場所で駆け抜け、新入幕の平成9(1997)年3月、いきなり11勝して敢闘賞と技能賞を獲得し、同年11月場所では早くも関脇へと駆け上がった。

 スピード出世の原動力となったのが、頭でぶちかまして一気に相手をもっていく、強烈な出足だ。学生時代は胸や肩から当たっていたが、入門後間もなく、師匠である元横綱・三重ノ海の武蔵川親方が、「それではプロでは通用しない」と、頭から当たる立ち合いに変えるよう指導した。最初は恐怖心があったが、武蔵丸の胸を借りて稽古に打ち込んで払拭し、唯一無二の武器へと磨き上げた。

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著者プロフィール

  • 十枝慶二

    十枝慶二 (とえだ・けいじ)

    1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。

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