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フェンシング・宮脇花綸が振り返るパリ五輪――念願のメダル獲得が実現できたわけ (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・構成 text by Oriyama Toshimi

 それでも、選考レースが始まってからは、団体メンバーに入って自分のなかでも手応えを感じられる試合ができていました。そういう意味では、選考レースが始まって以降、自分がやりたい試合を、自信を持ってできていたというのがすごくよかったと思います」

――東京五輪で悔しい経験をしたことも糧になったと思いますが、五輪に出場してメダルを獲得するまでに至ったご自身の成長をどんなところに感じましたか。

「具体的に成長した部分を挙げるのは難しいのですが......、ランキングポイントやメンバー選考がどうこうより、とにかく『今までの自分の人生経歴が、すべて今の私につながっている。試合を発表会みたいに考え、自分が持っているものを全部出すだけだ』ということに集中できたことが大きかったと思います。

 自分を信じられたというか、今までいいときも悪いときもあったけど、そのすべてが(今の)自分を作っているから、今の自分が持っているものを全部出せばいいんだ、という考え方をしていて。

 コーチからも、『練習もすごくやっているから、技術の問題はない。あとはメンタルの部分だけだよ』とずっと言われて。『とにかく考えすぎないで、自分の持っているものを解放してやればいいんだよ』と。今も、ですが、そう言われ続けてきたことは大きかったかもしれません」

――それ以前は、コーチの言葉もなかなか受け入れられなかったのでしょうか。

「東京五輪の前までは、まだフェンシング的にも自分のスタイルが確立できてなかったと思います。特に攻撃の部分では、自分が自信を持って攻撃することがなく、防御型で時間を目いっぱい使ってやるタイプでしたし......。

 そうして、東京五輪が終わってからコーチに本格的にフレッシュを、(矢のように)前に走り込んでいく攻撃を教えてもらって。そこで、防御だけではなく、攻撃でも試合を作っていくことができるようになりました。

 それで視野が広がったというか、防御一辺倒ではなく、攻撃を入れながら試合を作っていけるようになったので、相手がどういうタイプの選手でも対応できるようになって。いろんな引き出しを持って試合ができるというのが、戦術的な面で自信になったのかなと思います」

――フレッシュをうまく使えるようになると、自らのフェンシングに新たな発見もあったのではないですか。

「そうですね。ただ、フレッシュも技術的にはできるようになっても、それを思いきって使えるかどうか、という精神的な部分が重要で。たとえば、試合開始直後に思いきり突っ込んでいくとか、(自分のなかで)思ったよりも頻繁に使えるようになったなと感じたのは、2023年の春から世界選手権があった7月くらい。そこでようやく、フレッシュが武器にできたというか。それは、大きかったと思います」

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