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【平成の名力士列伝:琴錦】抜群のスピードとうまさで見る者の心を躍らせた「史上最強の関脇」 (2ページ目)

  • 十枝慶二●取材・文 text by Toeda Keiji

【立ち合いの呼吸の極意】

 鋭い出足から突き押しで一気に勝負を決める相撲は圧巻だった。柔道出身とあって入門からしばらくは四つ相撲だったが、幕下時代に突き押しに転向したのが功を奏した。

 極意の一つとして引退後、本人が明かしてくれたのが、立ち合いの呼吸だ。一般に、立ち合いでは呼吸は止めたほうが力が出るといわれる。琴錦もそうだったが、ある日、巡業先で元大関・貴ノ花の藤島親方(のち二子山親方)から、「立ち合いは息を吐け」とアドバイスされた。それをきっかけに自ら試行錯誤した結果、たどり着いたのが「息を吐きながら立って、ちょうど吐ききった時に相手に当たるようにする」という極意だった。この時にいちばん当たりが強くなると気づき、習得して、自分よりはるかに体の大きな相手も一気に持っていけるようになった。

 また、突き押し相撲は四つに組まれると弱い場合も多いが、琴錦は柔道経験者だけに四つに組んでも十分に強かった。特に右を浅くのぞかせての寄り、掬い投げ、肩透かしは絶品。当時は琴錦自身、「右がちょっとでものぞいたら、横綱にも負けない」と豪語していた。

 抜群のスピードとうまさを兼ね備えた琴錦の相撲には、華があった。幕内に上がった頃は北勝海、大乃国、旭富士、小錦、やがて曙、貴乃花、武蔵丸ら、自分より体の大きな上位陣に挑み、翻弄する。若乃花のような同じ小兵力士と繰り広げた、スピーディーで高度な技の攻防も見ごたえ十分だった。

 強く印象に残るのが、土俵生活晩年の30歳で迎えた平成10(1998)年11月場所、十両目前の前頭12枚目で快進撃を続け、11勝1敗の単独首位で14日目、2敗で追う横綱・貴乃花に挑んだ一番だ。貴乃花十分の右四つに組み止められて不利かと思われたが、ここからが琴錦相撲の真骨頂。差した右を巧みに返して上手を与えず、機を見て目にも止まらぬ速さで左を巻き替え、モロ差しになって両下手をつかむと、一気に攻勢に転じ、休まず寄り立て続けてついに寄りきり、史上初の2回目の平幕優勝を決めた。

 その後、右ヒジを痛めて幕内から十両に落ち、平成12(2000)年9月場所限りで引退した。関脇・小結在位通算34場所という史上1位の記録は、大関の力が十分にあったがつかめなかったことを物語ってもいる。しかし、相撲界には「関脇が元気な場所はおもしろい」という言葉がある。琴錦が上位陣に挑む一番は、いつも波乱の予感に満ち、ワクワクさせられた。大関になれなかったことは、本人にとってもファンとっても無念だろう。しかし、史上最強の関脇は、間違いなく、平成の土俵を語るうえで欠かすことのできない名力士だった。

【Profile】琴錦功宗(ことにしき・かつひろ)/昭和43(1968)年6月8日生まれ、群馬県高崎市出身/本名:松澤英行/所属:佐渡ヶ嶽部屋/しこ名履歴:松沢→琴松沢→琴錦/初土俵:昭和59(1984)年3月場所/引退場所:平成12(2000)年9月場所/最高位:関脇

著者プロフィール

  • 十枝慶二

    十枝慶二 (とえだ・けいじ)

    1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。

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