養成所の「劣等生」だった内山七海に、現役ボートレーサーが喝「そんな奴の舟券を誰が買うんだ」 (2ページ目)

  • キンマサタカ●取材・文 text by Kin Masataka

【3年も続いた養成所試験】

 最初に養成所に願書を送ったのは大学2年の冬。内山は19歳になっていた。未成年は親の承諾がいる。母親に相談するとあっさりとOKしてくれた。学費はレーサーになったら返すつもりだった。

「お金で苦労させてきたので、早く楽をさせてあげたかったんです」

 レーサーの平均年収は1800万円(2023年7月現在)。母子家庭で育った内山にとって、高い年収は大きな魅力だった。「稼ぎたいからボートレーサーになった」。ボートレーサーを目指した理由のひとつを、彼女はそう振り返る。

 ちなみに内山家は4人兄妹で、彼女の上に3人の兄がいる。彼らも異を唱えることはなかった。末っ子の挑戦に対して「どうせ無理だと思っていたんでしょうね」と内山は笑う。

 そして迎えた入所試験。緊張せずにできたという内山だが、余裕とは裏腹に、まさかの不合格。知らせを受けた内山は静かに涙を流した。

 ボートレーサー養成所の試験は主に3段階で絞られていく。1次試験は高校入試程度の学力試験、そして柔軟性、筋力、瞬発力の体力試験。2次試験はさらに細分化された体力や適性試験。筋力や、心肺機能、柔軟性、反射神経などが試される。最後の3次試験では 面接と身体検査が待っている。だが、内山は1次試験で門前払いされた。

 ちなみに、内山が最初に受験した第121期は、1220名の応募に対して入学34名(男子27名・女子7名)。実に倍率35倍の狭き門であった。

 もう一度挑戦したい。そのタイミングで、ボートレーサー養成学校の無償化も決まった。そのニュースは再挑戦する内山を後押ししてくれた。

「アルバイトしてお金を貯めるつもりだったので、学費タダは大きかったです」

 運動能力の低さを自覚していた内山は、ジムに通って体を鍛えるようになった。そして臨んだ6度目の試験も不合格。フリーター同然の暮らしをしながらボートレーサーを夢見る日々は、実に3年も続いた。

 そして、ついに願いが届いた。学科、体力すべて準備万端で臨んだ7回目で、ようやく1次試験に合格し、そのまま無事に3次試験も通過。狭き門をなんとか突破して、ようやく夢の舞台への足掛かりを掴むことができた。

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