ロコ・ソラーレ藤澤五月のカーリング人生。世界トップクラスに成長したスキップの「原点」【連載スタート!】

  • 竹田聡一郎●取材・構成 text by Takeda Soichiro

連載『藤澤五月のスキップライフ』
1投目:負けず嫌いの末っ子「さーちゃん」

カーリング女子日本代表として2018年平昌五輪で銅メダル、2022年北京五輪で銀メダルを獲得したロコ・ソラーレの藤澤五月。世界的なスキップに成長した彼女の半生を振り返りつつ、彼女の"思考"や"哲学"に迫る連載がスタート。第1回は、彼女の幼少期にスポットを当てる――。

ロコ・ソラーレの藤澤五月(中央)。カーリング女子日本代表として出場した2022年北京五輪では銀メダルを獲得した。photo by JMPAロコ・ソラーレの藤澤五月(中央)。カーリング女子日本代表として出場した2022年北京五輪では銀メダルを獲得した。photo by JMPAこの記事に関連する写真を見る5月生まれだから「五月」

 私は1991年の5月に北海道の北見市で生まれました。5月生まれだから「五月」。お父さんがつけてくれた名前です。

「悠(はるか)」という候補もあったみたいですけど、「五月」という名前はみんなにも覚えてもらいやすいですし、好きです。小さい頃は家族に「さーちゃん」と呼ばれていました。

 カーリングを始めたのは、両親の話によると5歳の頃らしいです。藤澤家はソフトテニスやカーリングなど、家族みんなで同じスポーツを楽しむ一家で、カーリングでは家族みんな、日本選手権を経験していると思います。特にお父さんはカーリング歴も40年を超え、現在もリーグ戦に出ているような、カーリングが生きがいみたいな人で、今でも私のことをライバル視しています。

 そんな家族の影響で私もカーリングを始めたのですが、実は当時のことはあまり覚えてないんですよね。一番古い記憶は、氷上で転んだことです。

 私はお箸もペンも左利きなんですけど、カーリングは右投げなんです。それを忘れていて左足でハックを蹴ろうとしたら、イメージどおりに体が滑らずに思いっきりこけました。「あっ、私カーリングは右利きだった(笑)」と、こっぱずかしかったのでよく覚えています。

 先日、実家で『家族ふれあいカーリング』という大会で優勝した時の、『ところ通信』という地元広報誌と金メダルを発見しました。ちょうどその頃だったと思います。私の人生最初の優勝の記念なので、大切に保管し直しました。

1 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る