ロコ・ソラーレ藤澤五月のカーリング人生。世界トップクラスに成長したスキップの「原点」【連載スタート!】 (2ページ目)
週末は家族でカーリングホールへ
そうして始まった私のカーリング人生は、6歳か7歳の頃から本格的に動き出しました。
冬になると、週末は家族みんなで常呂のカーリングホールに通って練習していました。今の『アドヴィックス常呂カーリングホール』ではなく、町営の『常呂町カーリングホール』です。
とにかく私は負けず嫌いで、アイスの上で常にそれは発揮されてきました。兄と姉がいる末っ子って、負けず嫌いな子になるものだと思いますけど、3歳上の兄にも、2歳上の姉にも、さらには家族では一番の実力者である父に対しても、ずっと根拠なく「私のほうがうまい」と主張してきた生意気な"The 末っ子"です。
でも本当に、ストーンを投げるのは大好きでした。たとえば、常呂では2時間の練習時間があるとしたら、最初の1時間はみんなで投げ込みをするんです。
ふつう、カーリングではハウスの中に人がいて、その人が指すブラシを目標にデリバリー(投石)するものなんですが、お父さんの「そうするとブラシを持つ人が練習できない! みんなで投げよう」という方針のもと、ホールにあったゴミ箱を目標にみんなで順番に投げていました。藤澤家ではこれを「ゴミ箱ショット」と呼んでいたのですが、ゴミ箱ショットを1時間くらい投げてから、5分から10分ほど休憩するパターンが多かったですね。
その時も、私はとにかく投げるのが好きでしたし、早くうまくなりたかったので、休憩なしでずっと投げていた記憶があります。
残りの時間は、ひたすらゲーム。お父さんとお兄ちゃんvs私たち姉妹という練習試合が多かったです。当然、ここでも負けず嫌いは発揮されていました。はっきりとは覚えていませんが、きっと勝てばご機嫌だったし、負ければ帰りの車の中で拗ねたり、むくれていたりしたと思います。
わがままで、甘え上手。家族のなかで何をするにも、自分に優先順位があると常に思っている存在。今思えば、お母さんは大変だっただろうなと申し訳なく感じています。
幼少期の藤澤五月(左から2番目)。写真左から姉、本人、兄、母、父。写真:本人提供この記事に関連する写真を見る
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