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競輪界の未来を担うルーキー小泉夢菜、一丸尚伍、又多風緑。勝つべくして勝つ3人のポテンシャルと知られざる過去とは (2ページ目)

  • text by Sportiva
  • 高橋学●撮影 photo by Takahashi Manabu

「高校の頃は、監督が練習内容を考えて、それについていくだけだったんですけど、早稲田の自転車部は自分で考えることが基本だったので、何をやったらいいんだろうとわからなくなってしまいました。それに一人暮らしになったんですが、今まで家事を何もしたことがなくて、ご飯も作るのが苦手だったので、栄養をしっかり摂れず、成績も落ちてしまいました」

 大学1年時はまったく結果が出ず、気持ちも沈みがちだった。そんな小泉を見て、自転車部のマネージャーが親身になって相談に乗ってくれ、家でご飯を作ってくれたり、練習のサポートをしてくれたりした。そのおかげで、少しずつ気持ちが前向きになり、「自転車に対する気持ちがより強くなった」。自ら練習プランを組み、調子が上がらない時には、どう対処すべきかという修正力を身につけることができた。

 そして2年時には、学生選手権500mタイムトライアルで1位、インカレでも同種目で1位を獲得するまでにカムバックした。

 もともと持っていたポテンシャルの高さに加え、大学時代にこの修正力を養えたことが、競輪選手となった今、生かされている。

 さらなる高みを目指してより一層の努力を誓う小泉だが、「これから競輪選手として、勝てなくなってしまっても、自分で修正する力を大学で身に着けることができたから、大丈夫かなと思います」ときっぱり。その表情は自信に満ち溢れていた。

世界大会でも実績を残してきた一丸尚伍世界大会でも実績を残してきた一丸尚伍笑顔に隠された想い
一丸尚伍

 ルーキーシリーズの第1戦を制した一丸尚伍 (大分)は、レース後、満面の笑みを湛えていた。

 30歳で競輪デビューを飾った一丸は、ここまで波乱万丈の自転車人生を送ってきた。中学3年の時、本場フランスで見たツール・ド・フランスに感動し、高校で自転車競技部に入るも、2年時に死の淵に足を掛けるほどの大病を患ってしまう。

 それでも見事、自転車競技に復帰し、意気揚々と大学に進学するも、入学した4月に自転車競技部が交通事故を起こしたことで活動停止に。そこから何とか社会人チームを見つけて競技を続け、その後、チームブリヂストンサイクリング、シマノレーシングで活躍した。

 東京五輪に出場するために、ナショナルチームで実績を積むが、彼が力を入れていた種目が強化種目から外れ、その夢を断念せざるを得なかった。大きな喪失感のなかでも、前を向いて競技を続け、日本競輪選手養成所を経て、今に至る。

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