金メダリスト・小平奈緒の性格を激変させた「国立大学入試の集団討論」 (4ページ目)

  • 宮部保範●取材・文 text by Miyabe Yasunori
  • photo by Sankei Visual

──受験勉強をするにあたって、普段の生活、練習、勉強の配分は?

「高校1年生のときはコーチの家に下宿していて、食事はコーチのお母さんに作っていただきました。2年生からは、6畳の1Kにひとり暮らしです。高校時代は3部練(朝、放課後、夜)だったので、もう、自炊をしている暇はなかったですね。学んだことといえば、電子レンジをどう使うかっていうくらいです(笑)。
 
 そういう状況だったので、勉強は学校の中で終わらせていました。特に生活の時間を削ったり、練習の時間を削ったりして何かを勉強することはなかった。学校の授業はしっかりやっていて、わりと友達からノートを見せてと言われるほうでした」
 
──トレーニングはどのようなスケジュールでしたか。

「高校時代、学校以外の時間のほとんどはトレーニングに割きました。夏は、朝練習して、夕方は高校で6時くらいまで練習して、帰って夜7時半から9時くらいまでウェイトをやったり、エルゴをやったり。冬は、車で1時間ほどの岡谷市のリンクまで滑りに行っていました。途中まで電車で行って、コーチの勤めている学校の近くの駅でピックアップしてもらってリンクまで車で」

──寝落ちするようなことはなかったですか。

「夜遅くまで練習して、帰って、寝る、という感じですね。毎日じゃないですけれど、疲れている時には、ご飯を食べず、電気も消さず、寝てしまうこともありました。まぁ、そんなふうに生活リズムが崩れたこともあったけれど、一応、がんばってやってました(笑)」
 
──スケート漬けだった高校生活でインターハイ2冠を果たし、小学生の頃から志していた信州大学に見事合格を果たします。
 
「大学入ってからは、時間管理を心がけるようになりました。高校時代のひとり暮らしで失敗した経験が生きたのかなというところはあります。大学でいきなりひとり暮らしを始めていたら、ちょっと、またリズムが崩れていたかもしれません(笑)」

(後編につづく)


Profile
小平奈緒(こだいら・なお)
1986年5月26日、長野県生まれ。相澤病院所属。3歳からスケートを始め、信州大学在籍時代より結城匡啓コーチに師事する。卒業後、2009年に相澤病院に就職。同年の全日本スピードスケート距離別選手権500、1000、1500mで三冠。2010年バンクーバーオリンピックの団体パシュートで銀メダルを獲得。2018年平昌オリンピックでは500mで金メダル、1000mで銀メダルを獲得した。

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