「チームの解散も覚悟した」富士急・小穴桃里の壮絶なカーリング人生 (3ページ目)
――その苦しい時期をどうやって乗り越えていったのでしょうか。
「高校時代は平日に部活の練習をしながら、小瀬スポーツ公園のジムでトレーニングをしていたんですけれど、西室雄二コーチ(現SC軽井沢クラブコーチ)が週に一度、山中湖から来てトレーニングを見てくれていたんです。そのあとに、『1点アップの後攻で、曲がるアイスでリードの1投目から』という感じで具体的なシチュエーションを作って、丁寧に戦術面でのコーチングを1時間くらいしてくれたんです。本当に地道な作業なんですけれど、あの時にスキップとして考える能力の基礎が養われて。それから徐々に、ですかね」
――チームは小穴選手が高校を卒業したシーズン、2014年に初めて日本選手権に出場しますが、結果は5位でした。
「まずは日本選手権に参加できないと話にならないので、出られたのはすごくうれしかったのですが、いざ試合になると、なんていうか、怖かったのを覚えています。(小笠原)歩さんであったり、(本橋)麻里さんだったり、憧れていた選手を目の当たりにして、さらに中部電力さんもジュニア時代に勝てなかったメンバーが多くて、そういうチームを相手になかなかいいゲームができなかったです。あれは、悔しかったですね」
――それでも、翌年には3位という好成績を残しました。以降、2016年は準優勝、2017年は3位と安定した結果を出し続けています。
「少しずつ戦い方はわかってきたのですが、オリンピック選考に引っかからないもどかしさのようなものは(心の中に)ずっとあります。日本のカーリングは、どうしてもオリンピックの4年サイクルで動いている部分があります。そのなかで、2014年ソチ五輪は箸にも棒にもかからずに終わって、2017年の日本選手権でも勝てずに2018年平昌五輪への道も断たれてしまいましたから......」
――その辺り、やはり責任を感じる部分も大きいのでしょうか。
「私は中学3年生でチームに入って、よく『若いのに偉いね』と言われていました。でも、学生時代はお金こそいただいていなかったけれど、遠征にかかる費用などは会社がずっと負担してくれていました。そのことについて、『あなたの競技力を買ってもらっているんだから、そこに年齢は関係ない。そこにプロ意識は持ちなさい』と、西室コーチがずっと言い続けてくれたんですね。
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