IOCバッハ会長に聞く「リオ五輪で最も楽しみにしていることは?」 (5ページ目)
オリンピックの博愛主義が発露する瞬間は、1936年にヒトラー政権下で開かれたベルリン大会でも見られた。黒人のアメリカ人選手ジェシー・オーエンスは走り幅跳びで金メダルを取ったあと、ドイツ人のライバルだったルッツ・ロングと手をとり合ってトラックを回った。
1992年のバルセロナ大会は、南アフリカがアパルトヘイト(人種隔離政策)を撤廃した直後に開かれた。黒人のエチオピア人選手デラルツ・ツルは陸上女子1万メートルで金メダルを獲得したあと、銀メダルに輝いた南アのエラナ・メイヤーと手をつないで場内を一周した。
こうした絆は、一生のものになりうる。1968年のメキシコ・オリンピック陸上男子200メートルで金と銅に輝いた黒人アメリカ人選手のトミー・スミスとジョン・カーロスは、表彰台で国歌が流れるなか、こぶしを突き上げてアメリカの人種差別に対する抗議を示した。ふたりは大会を追われたが、このとき銀メダルを取ったオーストラリアの白人選手ピーター・ノーマンは、彼らの行動を支持していた。38年後、スミスとカーロスは、オーストラリアで行なわれたノーマンの葬儀でひつぎを担いだ。
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