IOCバッハ会長に聞く「リオ五輪で最も楽しみにしていることは?」 (4ページ目)
言うまでもないが、ボートやフェンシング、あるいは砲丸投げの選手が、美しくてエゴにまみれていないようにみえるのは、選手たちが道徳的に純粋かどうかとはほとんど関係がない。これらの競技を人々が見る機会がオリンピックくらいしかないからだ。名声も富も、彼らにはもともと分け与えられていない。
どの国もオリンピックの英雄たちを、「涙もろいナショナリズムの大騒ぎ」で、たっぷりともてはやす。同時にオリンピックは「大会をソファで見る人々」という国境のない共同体を生む珍しい時間でもある。選手村でも、バッハがモントリオールで感じたように、多くのアスリートが国境を越えた絆を経験する。
バッハは選手村のレストランで、レオニードという名のソ連の重量挙げ選手が、その巨体で入り口をふさいでいたのを思い出し、大きな笑い声をあげる。バッハは共産主義圏のフェンシング選手と親しくなり、彼らのガールフレンド向けにブラウスをプレゼントして、お返しにロシアのマトリョーシカ人形をもらった。
バッハに言わせれば、オリンピックが象徴する博愛主義は「今のもろい世界に、戦争とテロと危機と不信の世界に、団結がますます欠けていく世界に」対して、重要なメッセージを発している。
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