IOCバッハ会長との対話。もう喜んで五輪を開催する国はない
【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】オリンピックの危機(1)
五輪に反対するデモが行なわれているリオデジャネイロ(photo by AP/AFLO) ドイツの小さな町に生まれたフェンシング選手が40年前、モントリオール・オリンピックに参加した。
「私の最初の記憶は......」と、現在はIOC(国際オリンピック委員会)の会長をつとめるトーマス・バッハは言う。「マシンガンを持った警備員と一緒に、満員の選手バスに乗ったことだ。そのバスの上を、ヘリコプターが何機も飛んでいた。本来のオリンピックの熱気は、あまり感じられなかった」
当時、オリンピックは盛り上がっていなかった。その前回、1972年のミュンヘン大会では、パレスチナ人のテロリストが選手村で11人のイスラエル人を殺害した。モントリオール大会は、アフリカ諸国のボイコットに見舞われていた。
バッハはごく普通の環境に育った。両親と一緒に外国に行ったことはなく、父親を早くに亡くしていた。
しかし、モントリオールが彼の人生を変えた。バッハは金メダルを獲得したのだが、それと同じくらい重要なのは、世界中から来たアスリートと選手村で知り合ったことだ。他の多くの人々と同じく、バッハはオリンピズムという思想のとりこになった。オリンピズムには、人類が古くから抱いてきたふたつの夢が混じり合っている。人間として「完全」であることと、人間としての「博愛」だ。
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