千代の富士からの伝言「なぜ出稽古で強い力士の胸を借りないのか」
大相撲第58代横綱・千代の富士の九重親方が7月31日、すい臓がんのため都内の病院で亡くなった。61歳だった。ウルフの愛称で親しまれ、歴代2位(当時)の優勝31回を誇り、1989年には角界初の国民栄誉賞も受賞した大横綱。精悍なマスクと彫刻のような美しい肉体から繰り出す左前まわしを引く電光石火の速攻相撲は、広く国民的な人気を集めた。
陽杯を手に笑顔の千代の富士。1989年名古屋場所 2006年から大相撲を取材する中で、親方から横綱としての姿勢、心構えを聞く機会があった。時代を築いた大横綱は、どんな思いで土俵を務めていたのか。その会話のやり取りの中には、これからの土俵を支える力士への激励が込められていた。
あれは2014年九州(11月)場所だった。前の秋(9月)場所で新入幕の逸ノ城(湊部屋)が1横綱2大関を倒し、13勝2敗の大旋風を巻き起こした。上位をなぎ倒す姿は1984年秋場所で「黒船襲来」と謳われた小錦旋風を思い起こさせた。その場所が小錦と初顔合わせとなった千代の富士は、強烈なプッシュに体が浮き上がる惨敗を喫したのだ。
しかし、その後の千代の富士は黒星の教訓を生かし、小錦に惨敗を喫することはなかった。怪物と評された新鋭を横綱は、どういう心構えで受け止めたのか。当時の思いを聞こうと場所中の朝稽古、福岡市内の鳥飼八幡宮にある九重部屋宿舎を訪ねた。
小錦との一番を振り返っていただいた時、親方から出た言葉は意外なものだった。
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