【ソチ・パラリンピック】久保恒造、6年分の悔しさを胸に目指す「金メダル」 (2ページ目)
高校3年で遭った交通事故で下半身まひになり、リハビリに励んでいたとき、テレビで陸上競技用の車いすレーサーで疾走するマラソン選手を目にしたのが、パラリンピックを目指すようになったきっかけだった。車いすマラソンにのめり込み、2008年夏季北京大会出場を目指すも、日本代表に選ばれず、苦しい時期を過ごした。そんなとき、久保の走りのピッチの速さに着目し、冬競技への転向を強く薦めたのがノルディックスキーの荒井監督だった。同じシットスキー(座るタイプのスキー)の選手で、車いすマラソンの練習仲間でもあったパラリンピック4大会出場の長田弘幸(日立ソリューションズ)の誘いもあり、そのシーズンからスキーに参戦することを決意した。
長距離陸上選手としてレーサーに乗ってきた久保が最初にしたことは、スキー用具の改造だった。当時主流だった足を前に投げ出して座るタイプのシートを、乗り慣れているレーサーのように正座するシートに作り替え、上半身で生み出す推進力を効果的にスキーに伝えられるようにし、自分のスタイルを作っていった。
もちろん用具の工夫だけではない。車いすマラソンで培ったスタミナを生かして、ストイックに打ち込むと、すぐに頭角を現し、みるみる世界で戦えるスキーヤーに成長した。
悔しい思いをしたことで、勝負の真の意味を知った2010年のバンクーバー大会から、歩みをやめず試行錯誤を続けた。ライバルに競り勝つために、練習メニューを見直し、課題だったギアチェンジの手応えも感じるようになった。ストロークを大きくするためにシットスキーのセッティングを変えて、フォームも改造。「(W杯で)優勝したときも、秒差の争いだったから、油断なんてできません」。試行錯誤は、今シーズンのW杯が終わるまで続いた。
確かな金メダル候補として、2度目のパラリンピックを戦う久保には、もうひとつの目標がある。
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