皆川賢太郎「今はただ、単純に五輪という舞台に立ちたい」 (3ページ目)
「競技を続けるというのは、単純にいえば精神を鍛えているようなものですね。だから自分のアップダウンのすべてをみてみたいというか。僕の場合は自分が60歳までにやりたいことがある程度決まってるんです。できればルールを作る方にいきたいし、日本でスキーという文化を変えたい。そのためには協会へ入るなど、いろいろな方向性がある。そういうことを考えれば今辞めても、例えばあと6年やっても、そんなに(人生が)変わらないと思ったんです。だったらやれるまでやって、精神を鍛えようという結論になりました」
今シーズンはまだ結果を残せていないが、チャンスは残っている バンクーバー五輪後1年間は、競技から少し離れ、父親から引き継いだ家業に専念した。そこから現役に戻ってみると、スキーの本質をシンプルに捉えられるようになっていたという。
この競技でやっているのは、雪面を落下して行くこと。それを進化している道具と融合させ、人が立てたゲートの間をいかに流れを止めず、ブレーキを少なくして落下していくか。自分の体重を利用してスキーを動かし、スキーの反応をより引き出すこと。以前は“ここにパワーが必要だ”など、自分なりのエッセンスをたくさん詰め込もうとしていた。だが今はシンプルな考えに立ち返った。「斜面に体を合わせろなんて、幼稚園くらいから言われてたけど、今はそれを思ってやっていますから」と笑う。
休養後の11~12年シーズンに出場したのは、中国や韓国、日本で行なわれるファーイーストカップとFISレースだけだった。このシーズン、ファーイーストカップの最終戦まで、3勝して2位と3位には一回ずつ入っていた。このまま最終戦を滑りきれば、W杯出場権を手にすることができる状況だったが、転倒で結果を残せなかった。結局W杯の出場権を逃し、五輪に挑戦するための時間を短くしてしまったのだ。
「自分のミスだからしかたないけど、昨シーズン(12~13年シーズン)W杯に戻れていれば(今の状況は)全然違ったでしょうね。スタート順の早い位置も、30番以内の成績を3~4回出せば戻れる。だから正直、五輪への距離はそんなに感じていなかったんです。でも、さすがに五輪までに(13~14年シーズンの)5試合しかないとなると厳しいな、と思いますね。それまではシーズン前に描いていたシナリオ通りに行っていたのに、普通に滑れば勝てるところで転んでチャンスをもらえなくなって……。本当に甘いものじゃないなと思いましたね」
3 / 4