2014.01.08

バレーボール界の開拓者、
ヨーコ・ゼッターランドが説く「規律」と「パワハラ」の区別

  • 木村元彦●取材・文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by AFLO

『スポーツ紛争地図』 vol.5 part.2

 JOC、体協(日本体育協会)など日本の主要スポーツ5団体が2013年4月25日に主催した「スポーツ界における暴力行為根絶宣言」のシンポジウムの中で、パネラーのヨーコ・ゼッターランドが語りながら、思わず涙を流すシーンがあった。
(前回のコラムはこちら)

 中学時代、対戦した相手強豪校の監督がミスをした選手の髪を引っ張り、体育館の床に叩きつけて顔を踏みつけた場面に直面したことを回想したのである。

「なぜ、言葉でなく暴力でしか指導ができないのでしょうか」

 JOCがまとめたスポーツの現場におけるパワハラ・セクハラについての最終報告書を読むと、自分自身が中学時代に感じていたものとほぼ同様の文言が並んでいたという。時代は変わってもその実態に変化はないということだ。

 スポーツ界におけるハラスメントは直接的な暴力だけではない。

 ゼッターランド自身、高校卒業段階で、大学で学びながらバレーボールを続けたいという向学心から、実業団への進路を選ばずに(当時関東6部リーグの)早稲田大学に進学するのだが、そのことで大きなバッシングを受けた。

 当時の女子バレー界の敷く強化の「王道」(実業団から代表入り)を歩まなかったことで、協会で立場のある人間が「大学バレーで日本代表を目指すのはピアニストがバイオリンを弾くようなもの」などとメディアを通じて盛んに責めたてた。

ヨーコ・ゼッターランドさんはアメリカ代表としてバルセロナ、アトランタと2度の五輪に出場した 事実、1年生のときの世界ジュニア選手権を最後に、干されるような形で代表に招集されなくなってしまった。国家代表への道を閉ざされ、一時はバレーを辞める事も考えたが、五輪への夢をあきらめ難く、ゼッターランドの出生国である米国籍を選択し、米国のナショナルチームのトライアウトに挑戦。ここでの努力が実って、1992年バルセロナ五輪と1996年アトランタ五輪の2大会に出場する。彼女の場合は競技団体の固陋な考えによって終わらされていたかもしれない自らのキャリアの扉を実力でこじ開けたと言えるだろう。

 2013年から嘉悦大学女子バレーボール部の監督に就任したヨーコ・ゼッターランドは現在のスポーツ界が抱える問題をどう見ているのか。