シドニー五輪テコンドー銅メダリスト・岡本依子の悲愴な願い (3ページ目)
2000年シドニー五輪で、岡本(右)は女子67kg級の銅メダルを獲得――どこの公園ですか?
「私、家が(大阪府)門真市だったので、家の近くの」
――それは、苦境を支えた公園として注目されそうな話ですね。アテネ五輪のときは周りの人たちが義憤にかられて署名活動も活発になったわけですが、実際、アスリートとしては練習に集中できなかったのではないかと思います。当時はどんな状況だったのでしょうか。
「署名は自分の両親とか会社の人が始めてくださったんですが、最初はほんま一週間で10万人も集まるとは思っていなかったんです。私はあの頃、遠征でオランダオープン(大会)に行っていて、その後にスペインで練習してドイツオープンに行こうと思っていたんです。そうしたら『署名活動を始めたから日本に帰ってきて』って言われて......。
それがほんまに嫌で。ドイツオープンでは実戦の中で技の感覚をつかもうという目的があったんです。私はオリンピック出場権を取ったわけだし、本来だったら自分は練習だけすればいいはずなのにと思っていました」
■「テコンドーをやったら不幸になる」なんて子どもたちに思われたくない
本来は予選を勝ち抜いた日本代表選手なのである。胸を張って送り出される立場にも関わらず、マスコミ対応や署名活動の中で私を五輪に行かせてくださいといろんな人に頭を下げなくてはならなかった。
岡本は記者会見でも、団体やJOCに対しては一切、恨みがましいことを口にはしていない。しかし、今思えば、一体、彼女は何のために頭を下げなくてはならなかったのか。JOCの個人参加エントリーという超法規的措置が、情にほだされてというものであるのなら、これまた逆に非礼な話である。選手の陳情は組織のメンツを保つための通過儀礼ではない。
「助けていただいたのは本当にすごくありがたいと思うんです。言うたら何の得にもならないことをやってくださった。こんなに私のためにやってくれはったと思ったら、ほんまに感謝です。でも、『お願いします、ありがとうございます』と街頭で頭を下げているときは、やはり『競技だけに集中してできたらええのにな』と思っていました。私は競技でうまくなりたかっただけなのですが、いろんな大きな組織が絡むと、いいこともあるし、大変な部分も多いんやなとあらためて思いました」
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