シドニー五輪テコンドー銅メダリスト・岡本依子の悲愴な願い (2ページ目)
■日本には「プレイヤーズファースト」の精神がない
バイトをしないと食べていけなかったが、それも覚悟のうえだった。厳しい環境で努力を続けてきたわけだが、アテネのときは選手としてまったく関係のない騒動に巻き込まれてしまった。
「実はその前のアジア大会からJOCが団体を認めなくて出場できなかったんです。ということは、あぁもうオリンピックも出れへんのや、って思っていたんです。メダルを取ってもだめなのか......。アジア大会のときは自分が出られないことで事態が好転してテコンドー界が前に進めばそれでもいいかと思っていました。でも変わらなかったんです。
アテネの出場もダメと言われていたんですが、世界で一番になるのが自分の目標なので選考会だけでも全力でやろう、行けるようになったときに恥ずかしくないようにと思って頑張っとったんですけど、なかなか。
私はアメリカ留学中にテコンドーという競技と出会って始めたんですが、そもそもアメリカっていう国はスポーツをする人のための権利というか、プレイヤーズファーストの精神が強くあって、『I can do it』の気持ちがあれば、どんな初心者でもうまくなくても、ただ夢に向かって努力することを皆が応援してくれる。ところが、日本に帰ってきて、ここはちゃうんやな、と(笑)。
私は入っていた道場も破門になっているんですよ。最初に所属したのが神奈川の道場なんですが、その時の組織の方針として全日本選手権には選手を出さないということになったんです。でも、私はやる以上はどうしても世界で戦いたくて、それで代表になるために選手権に出場したら破門になってしまいました。それから大阪に帰って来て大阪の道場で練習していたんですが、そこも全日本には出場させないということになってしまって道場を出ざるをえなくなった。もうそれからはどこにも所属していない選手で、ひとりで公園とかで練習していました」
本来は世界大会に出たいという選手をサポートするのが競技団体の責務であろう。武道の団体は出自の異なりから対立するケースも多く、それぞれには言い分もあるのであろうが、しかし、選手の思いとは真逆の現象が起こっていたのは事実である。
「それをおかしいと言っても正しくならないんです。ほんま、おかしいとは思うんですけど、その中でどうするかっていうことしかなくて。(同じテコンドーで)世界には一日中朝から晩まで練習させてもらって国から給料をもらっている選手もいる。その人たちに勝とうと思って、バイトしては公園でひとりで練習していました」
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