小説『アイスリンクの導き』第13話 「抽選会」 (5ページ目)
「ねえねえ、ジュニアの頃、近くにあるマックに行って、その後バッティングセンターも行ったよね。あれ、楽しかったな。宇良君、連れて行ってあげようか? 翔平君親衛隊の副長として」
陸は暢気に言った。
「いや、いいですよ。陸さんと行ったら、ファンの人たちにもみくちゃにされますって」
「大丈夫だよ。僕のファンはみんなマナーがいいから。遠巻きにじっと見てるだけ」
「どこかから見られながら、ハンバーガー食べたり、バット振ったり、なんか落ち着かないです。っていうか、明後日から試合ですよね?」
「えー、ケチ」
「陸、あんまりふざけるな。試合直前に行くはずないだろ?」
翔平が、宇良に絡む陸を諫めた。
「はーい」
陸は素直に従った。
しかし翔平も、少年時代を思い出していた。長野のリンク近くにあるマックとバッティングセンターは小さな大会や合宿があると、ノービス、ジュニアの選手のたまり場になっていた。何が面白かったわけではない。当然、一番のメインはスケート競技だったが、青春時代、そうやって思うままに過ごした瞬間というのは輝いているものだ。
言わば、人生の余白だろう。
しかし全日本という舞台では、それぞれが擦り切れるまでスケート人生を戦う。そこに一切の余白はない。すべてを出し尽くした後、見える風景こそが真実だ。
外の冷気はさらに増していた。
「さむっ。じゃあ、明日」
外に出たスーツ姿の翔平はそう言って、足早にタクシーに乗り込んだ。宇良と陸が手を振っていた。二人とも若いからか、スーツ姿でも寒そうに見えない。その後ろで、富美也がわざと目線を外していた。
〈いよいよ、明日から開幕だ。すべてを出し尽くす!〉
翔平は車窓を流れる夜の風景を見ながら、そう心に誓う。車の中は暖房がきいていて、緊張から解放されたのもあるのか、眠たくなりそうだった。
著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。
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