小説『アイスリンクの導き』第9話 「ライバル」 (3ページ目)
リンクで声援を浴びる富美也は雄々しかった。王者としての風格を感じさせる。大げさに言えば、生まれ落ちて「天上天下唯我独尊」と唱えた釈迦のようだ。
しかし富美也と入れ替わりでリンクに入った陸の視界に、それらの光景は入っていない。正しく言うなら、外界で起こっていることを感じられてはいたが、自分の世界にほぼ100%入っていた。外側からは何も干渉されない状況だった。自分だけの領域に入って、それを俯瞰して見つめるもう一人の自分がいた。
周回を重ねながら、冷たい風を頬に受ける。会場にたゆたう、目に見えないはずの熱気も見える。音も、匂いも、細胞一つひとつで感じられるようだった。五感が痺れるように研ぎ澄まされていた。
「From Japan 、Riku Asukai!!」
場内の英語アナウンスで、陸はスタートポジションについた。曲は北欧のアーティストが作った「Timelapse」で、衝動を感じさせるバイオリンの旋律に合わせ、動き出す。Timeという時の流れと、Lapseという推移、経過という意味を合わせた言葉で、低速度撮影というスローモーションで映る画像というのか。過去の失われた記憶がゆるやかに流れる情景をインスピレーションに作曲したと言われる。
陸は振り付けにある細かい時の経過を感じさせる動きを入れ、エッジを倒した丁寧なスケーティングで、両腕を大きく広げた。そして、ゆるやかな時の流れに観客を引き込んでいった。冒頭、大技の4回転ループを音楽に溶け込ませながら決めると、着氷後の流れも完璧。4回転フリップも成功すると、音に激情を込めていく。
トリプルアクセル+ダブルアクセル+ジャンプシークエンスも隙のないジャンプだった。僧帽筋に力を込め、肩甲骨を隆起させ、腕を翼のように広げる。ステップシークエンスではツイズルを入れながら、音の狂おしさに滑りを重ねた。
そして後半、もう一つの曲に入る。エストニア人作曲家の「Spiegel im Spiegel」というピアノ曲。いわゆる古楽で、余計なものを省いた単純さを極め、鈴がちりんちりんと鳴る様子を表現。テンポを一定に保つ中、飾りが省かれているからこそ、音そのものに物語を感じさせる。
陸は音一つひとつを拾うように美しい滑りで、自分の世界に会場の人々を誘う。その静寂の中から、4回転トーループ+3回転トーループとコンビネーションジャンプを完璧に降りた。ゆったりした音楽の中で演技するのは、凄まじい技量がいる。少しでも音がずれたら台無しだし、ジャンプが成功しても溶け込んでいないと汚く、やはり台無しだ。
静から動へ、そこに熱を生み出すことで、陸は観る者を引きつけた。後半1.1倍になる4回転トーループ、トリプルアクセル、3回転サルコウも最高のGOE で着氷。バタフライからのフライングキャメルスピンは雄壮さがあって、人生のダイナミズムのようなものも表現した。足換えシットスピンでは、音が弾けるのに合わせて跳ね上がる。それは再起を期す者たちへのエールであり、生まれ落ちた者たちへの祝福のようでもあった。
コレオシークエンスは、エピローグのようで名残惜しい気持ちにさせた。
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