小説『アイスリンクの導き』第9話 「ライバル」 (4ページ目)
「この時間が永遠に続いてほしい!」
空間を共有した人々に、そう思わせる。その時間は永遠ではないからこそ、一瞬に熱があるのだろう。瞬間こそが尊く価値があるもので、掛け替えがない。しかし人間は貪欲で、時の流れの中に埋没したい、とすら思う。そこに儚さ、狂おしさが生まれる。
永遠の一瞬だ。
最後の足換えコンビネーションスピン、終わる前から観客はこらえきれずに拍手をし始め、陸が天空に手をかざした時には、胸に迫るような万雷の音が鳴り響いていた。
「リク!!」
絶叫に似たファンの歓声が入り乱れていた。
その世界の中心で、陸は笑顔だった。点数はどうでもいい。そこで感じる瞬間的な恍惚は、勝ち負けを完全に超えていた。これがフィギュアスケートだ、と幸福感に浸る。
リンクの四方に向かって、陸は本気で頭を下げた。一人一人抱きしめたいほどだった。この熱気のおかげで、陸の演技は触発されたのだ。
「フィギュアスケーターであることを誇りに思う」
陸はその感慨に浸った。この瞬間があるから、やめられない。次はどんな練習をしようか、そんなことを考えている自分もいた。
〈本当にスケートが好きだな〉
リンクを去り際、陸は誰にも聞こえないようにそう呟いた。
フリーは200点に迫る得点を叩き出し、トータル300点以上を記録した。激しく追ってきた富美也をわずかに振り切って、頂点に立った。
「フィギュア史上まれにみる激戦」
スポーツ紙が煽っていた勝負にケリをつけた。
表彰台の一番高いところから、陸は富美也を見下ろしながら言った。
「会場でお前が沸かした熱を受け取ったぞ。ありがとな」
「ふんっ」
富美也は鼻を鳴らしただけで、ふてくされた様子で何も答えなかった。
陸は皮肉で言ったつもりはない。スケーターはそれぞれ輪廻でつながっている。一つの演技は、生涯を懸けて作られるものというだけでなく、ライバルとの切磋琢磨で作られるものであって、一つの演技だけでは完結しない。すべてが数珠つなぎのようになっているのだ。
富美也の演技がなかったら、陸の神がかった演技は生まれなかった。
「次は僕を越えてみろ」
陸が言うと、すぐさま富美也が反応した。
「言われなくても、やってやる。泣きっ面にしてやっから」
「なんか、負けた奴の捨て台詞っぽいじゃん。若干、昭和っぽいし」
陸が挑発するように笑うと、富美也は怒ったような顔になった。
〈喧嘩腰の方が会話している気分になるな〉
陸は悪い気分ではなく、おかしくなった。そもそも、富美也とはリンクで会話している。誰よりも仲良く、近い距離で。
富美也は自分が笑われたと思ったのか、胸にかけられた銀メダルを乱暴に外した。出血しそうなほど唇をかみ、込み上げる嗚咽もこらえながら、写真撮影では余裕の笑顔を作ろうとし、異形となった。
「メダルを外すなど、あの態度はけしからん」
日本から来た年配の関係者たちはぼやいていたが、負けん気の強さは富美也のトレードマークだ。自分たちの対決を、そんな小さな了見でまとめないでほしい、と陸は心の中で思った。
3位になったカナダ人選手は、表彰台で大はしゃぎだった。不機嫌な富美也と満面の笑みの陸というアンバランスな二人を気遣ってか、わざわざ間に入って肩を組んだ。
著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。
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