小説『アイスリンクの導き』第9話 「ライバル」 (2ページ目)
富美也の勝利への執念を、陸はリスペクトしている。他の選手を蹴落としてでも、というフィギュアスケーターはなかなか出てこない。そもそも、競技の性質に合わないのである。子どもの頃から絶対的な他者へのリスペクトを教わるからで、勝利に執着する姿勢はむしろ悪徳であり、「表現者でありたい」という旗印が先に来る。失敗した選手に、これだけ拍手が降り注ぐスポーツ競技は唯一無二だ。
富美也は、異端な王者と言える。
王者としての虚栄心は突出し、それが限界以上の力を引き出している。口は悪いが、誰よりも勝負に対してストイックで、スケートへの情念を一瞬ですべて燃やし尽くすような演技ができる。結果、一つの大会を戦った後は燃えカスのようになっている。それも、すべて勝利のためなのだろう。
「三浦富美也選手、時間です」
係の人に呼ばれた富美也が、通路に向かう。自分に視線を送っているのは気づいていたが、面倒くさいので無視した。扉が開いた瞬間、観客の声援が流れ込んでくる。地元カナダの選手が高得点を叩き出したようだった。富美也は歓喜している観客を黙らせることに愉悦を感じるタイプだ。
富美也は今でこそ長身で痩身、ダンスアイドルグループのセンターにいそうな風体で、爆発的な女性人気を誇る。女性にだけは優しく振る舞う。もはや教祖的だ。
しかし小学校を卒業する少し前まで、富美也は小柄でずんぐりとした体形だった。スケーティング技術はすでに関係者の間で噂になるほどだったが、体形を揶揄されることが多く、本人はフィギュアの道を断念しようとしていたという。それが福山凌太にセンスを称賛されたことが自信になって、競技を続けているうち、成長期に入って背がぐんぐんと伸び、別人のような見かけになった。
やがて、"ぶっ飛んだ負けず嫌い"という本性が露出した。
「子ども時代にコケにされていたことが、富美也の反骨に呪いをかけた」と言われる。
事実、富美也は当時、自分を馬鹿にした連中を許さないという。悪口を公言して憚らない。何かの拍子に掌が裏返ることも知っているから、周りに対しても異常な敵愾心を持って、勝利だけにこだわり続けるのだ。
「飛鳥井陸選手、時間です」
陸の順番だ。
体を揺らしながら会場に入ると、富美也がとんでもない演技をしていることは伝わってきた。会場の人々が目を潤ませ、嗚咽の爆発を必死に抑えている。圧巻のプログラムだったんだろう。フィニッシュポーズ、巨大な感情が一斉に噴き出すような拍手が鳴り響いた。世界中に富美也の熱狂的ファンが大勢いるのだ。
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