小説『アイスリンクの導き』第8話 「約束のサイン」 (4ページ目)
「宇良君、ジャンプはね、成長曲線が人によって違うんだよ。スピンやステップは、少しずつ感覚がつかめる。手応えもあるだろう。やればやるほど、緩やかに上昇し続ける。でも、ジャンプはずっと低い位置をはって進むような線が続いて、やってらんない、ともなる。ただ、そこで続けていると、ある日、急にずどんと線が上がる。だから、辛抱強くやれているんなら、いつかきっと一気に上向きになる。それに、失敗を繰り返したほうが、ジャンプ技術は定着するんだ」
翔平はそう励ました。嘘ではなかった。例えばトリプルアクセルを習得したのは周りの選手よりも遅かったが、時間をかけてじっくり身につけたことで、技として定着していた。いきなり習得してしまうよりも、実はその方が確実で、急がば回れ、なのだ。
日本刀も同じだろう。「折れず曲がらず」を基調に、硬い鉄とするために炭素量を調節し、不純物を取り除く「折り返し鍛錬」で地鉄を木目のような模様にする。さらに硬度を増すため、焼きを入れることで刃文が表れる。そうすることで、最高の刃物となるのだ。
問題は、その鍛錬を続けられるか。
「翔平さんにそう言ってもらえて、元気が湧いてきました。できるようになるまで、ジャンプを跳び続けます」
「うん、跳べる時には跳べるし、跳べない時には跳べない。緊張したってしょうがないよ。緊張しなくたって、緊張したって、跳べない時には跳べないから。結果は後からついてくる。跳べなかったとしても、跳ぼうとした自分は悪くない。失敗の連続は、いつか懐かしい記憶になるさ」
「深いです」
宇良は神妙に答えた。
「また、大会で会おう」
「自分は長野で登録しているので。大それたことかもしれないですけど、全日本まで勝ち上がって、一緒に滑りたいです」
「大それたことではないよ。関東、東日本のブロックから勝ち上がってくるのを楽しみに。僕も頑張るよ」
「はい!」
宇良はこの日一番、快活に答えた。立ち上がって、エレベーターに向かおうとすると、「すみません」と呼び止められた。
「あの、サインをもらっていいですか? ばあちゃんに......あと、こっちのダイアリーには自分にも」
「ちゃっかりしてるじゃん。忘れてなかったね」
翔平は約束を思い出して感心し、笑いがこぼれた。祖母に許しを乞うには、サインが欠かせないのかもしれない。念には念を入れて、スマホのカメラでツーショットを撮った。
著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。
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