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伊藤みどり53歳が国際競技会で優勝 「もう滑らない」...跳べない葛藤を経て、アクセルジャンプなしで表現した「私の人生」 (4ページ目)

  • 野口美惠●取材・文 text by Noguchi Yoshie
  • photo by Yoshie Noguchi

●「私の人生と喜びを、みんなに届けたい」

 5月14日に日本を出発。現地入りして最初の公式練習では、40代の頃に競い合ったアダルトスケーターたちと、お互いの健康を喜びあった。

アダルトスケーターとして伊藤の戦友であるナタリー・シェイビー(60歳、米国)アダルトスケーターとして伊藤の戦友であるナタリー・シェイビー(60歳、米国)この記事に関連する写真を見る 現地入り後、少しずつ調子が上がっていき、試合2日前には、30代のスケーターに負けじとダブルアクセルに挑戦もした。2回転ほどで着氷してしまったが、久しぶりに回転軸を限界まで締める感覚を楽しんだ。

 迎えた5月20日の本番。「マスターエリート(元選手)」の「49〜68歳」部門は4人がエントリーし、伊藤の滑走順は1番。試合直前の4分間練習では、高さのあるシングルアクセルを2本披露した。

「なかなか身体が動いてくれなかったので、アクセルをウォーミングアップに跳んで。それがうまくいって、調子が上がっていきました」

 本番は、丁寧にひとつひとつの動きを確認しながら滑っていく。前半の『マイウェイ』では、リンクの端から端まで一気に滑り抜くランジで、「私の人生を表現した」(伊藤)。後半、『愛の讃歌』になってからは、滑る心地よさを伝えようと、柔らかな笑顔をたたえた。

この記事に関連する写真を見る 最後は、キレ味のよいフライングキャメルスピンを決めてフィニッシュ。最後は両手を上に上げる予定だったが、思わず、観客席に両手を差し伸べるポーズをとった。

「私の人生と喜びを、みんなに届けたいという気持ちで、とっさに振り付けを変えてしまいました(笑)」

 得点は22.08点で、コンポジション、プレゼンテーション、スケート技術すべて7点台。現役のトップ選手に迫る演技構成点をマークしての優勝だった。

「ドイツに来てからの6日間、たくさんのカテゴリーを見学して応援しました。みんな、それぞれのカテゴリーで、自分なりの精一杯の演技をして、スケートを楽しんでいる。みんなからパワーをもらいました。私も、自分を信じて滑り切ることができたので満足です。ドイツに来てよかった!」

この記事に関連する写真を見る アクセルを入れない演技で、自分の今を伝える。もちろんジャンプは好きだけれど、滑ることはもっと好き。伊藤みどり、53歳。これからも、スケートを始めたばかりの少女のような心で、真っ白なリンクにトレースを描いていく。

(文中一部敬称略)


【プロフィール】
伊藤みどり いとう・みどり 
1969年、愛知県生まれ。6歳からフィギュアスケートの競技会への参加を開始し、小学4年の時、全日本ジュニア選手権で優勝し、シニアの全日本選手権で3位。1985年の全日本選手権で初優勝し、以後8連覇。1988年カルガリー五輪で5位入賞。同年には女子選手として初めてトリプルアクセルを成功させる。1989年、世界選手権で日本人初の金メダルを獲得。1992年アルベールビル五輪で銀メダルを獲得後、プロスケーターに転向。その後、アマチュアに復帰し1996年の全日本選手権で9回目の優勝を果たしたのち引退。現在は、指導や普及に努めている。

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