プロとしての序章を終えた羽生結弦の本編第1作は東京ドーム単独に決定。「既存のショーからもっと進化させたものへ」 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 能登 直●撮影 photo by Noto Sunao(a presto)

【東京ドームでの単独ショーを発表】

 羽生は「プロローグ」の終了とともに、驚きの発表をした。会場の大きなモニターに映し出されたのは来年2月26日に東京ドームで「GIFT(ギフト)」と名づけられた単独アイスショーを行なうとの告知だった。「プロローグ」より先に、「東京ドームでやってみないか」と声をかけられて動き出していた企画だ。

「正直、僕はそこまで実力があるとは思ってもいないし、自信があるわけでもないですけど、話が来てからいろんな方々と構成を考えたり自分でも考えていくなかで、『スケートって何だろう』というものも考えました。それを東京ドームで見つけたいなと。

 これからもいろんなアイスショーには参加させてもらいますが、そういう既存のショーからもっと進化させたものをやってみたいという気持ちもあるので。また違ったスケートの見方みたいなものを、東京ドームでやっていきたいと思っています」

この記事に関連する写真を見る 現状考えているショーのイメージについて、羽生は「物語が主体になり、そのなかに自分のプログラムたちがいろんな意味を持って存在している絵本のようなショー。物語の鑑賞に来たような感覚で見ていただけるスケートになればいい」と説明した。

 2021年の全日本選手権で羽生は、「6分間練習で観客席を見回した時、『あと何回こういう光景を見られるのだろうな』と思ってウルッとした」と話していた。現役を離れれば、これほどみんなの視線を浴びて滑ることはないだろう、と。

 だが、プロになり、以前とは変わらない視線で演技をできている。さらに今回は会場だけではなく、各地の会場でスクリーンライブビューイングも行なわれた。

「本当にスケーター冥利に尽きるというか、スケーターをやっていてよかったと思える瞬間がたくさんありました。これからも皆さんに必要とされるようなスケートを。自分が滑るところを何かで見た時に、『羽生結弦の演技はいいな。浸みるな』という演技をできるように頑張っていきたい」

 羽生はしみじみとそう話した。「プロローグ」の次は、本編第1作が始まる。

【著者プロフィール】
折山淑美 おりやま・としみ
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて16回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。

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