2022.04.27

フィギュア「りくりゅう」ペアが明かす急成長の理由。試合がない1年で「本当にわかり合えた」

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Enomoto Asami/JMPA

 北京五輪では団体戦で日本の初のメダル獲得(銅メダル)に貢献し、個人も日本ペア初入賞となる7位。さらに、ロシア勢や中国の2ペアが欠場した世界選手権では、そのチャンスを着実に生かして銀メダル獲得という結果を残した三浦璃来と木原龍一。2019年8月にペアを結成して拠点をカナダのトロントに移してから、わずか3シーズンで世界と戦えるまで成長したきっかけと、その課程を聞いた。

北京五輪に出場した三浦璃来・木原龍一ペア北京五輪に出場した三浦璃来・木原龍一ペア この記事に関連する写真を見る ***

――ペア結成後の初シーズン(2019-20)は、NHK杯が179.94点で5位。四大陸選手権は167.50点で8位と、ともに前のペアとの得点を大幅に上回る結果でした。その頃から五輪出場を目標に、世界を戦うことを意識できていたのですか。

木原 最初は、「五輪を目標に戦っていこう」と話をしていましたけど、四大陸は自分たちの中ではあまりよくなくて、「このままでは戦っていけないかもしれない」という不安がありましたね。

三浦 まだトップのチームと比べて、自分たちの技術不足、表現力の不足をすごく感じていました。

――その後は新型コロナウイルス感染拡大で、厳しい状況となりました。

木原 四大陸直後の世界選手権が中止になってしまい、そこからは1年間試合がない状態で......。ただ、その期間はブルーノ・マルコットコーチの下で週5回のレッスンをみっちり受けることができたので、自分たちの技術を伸ばすという点では重要な期間でした。本当につらかったし、あの時に戻りたいわけではないけど、あの時期があったからその後の成長があったと思います。

――通常通り試合があったら移動時間も長くなり、練習も切れ切れになってしまいますね。

木原 そうですね。自分たちが成長し始めているタイミングで、コーチにじっくり学べたことは大きかったと思います。

――当時のカナダは規制が厳しくて練習環境も大変だったと聞きましたが、そういう中でずっと一緒にいたからこそ、ふたりの関係性も深められたのでは?

三浦 意見が食い違うこともありましたが、一緒にいなければいけないからこそ、その"ケンカ"の原因を解決しないと練習に影響が出てしまうので、その日のうちに仲直りしようと決めていました。

木原 お互いがどう思ったか、というのを話し合って、「ここはこうだったね」「じゃあここはこうするべきだね」といったように常に原因と解決策も明確にして、その日のうちに解決するようにしていました。