「鍵山優真を思うあまり保守的になっていた」。振付師・佐藤操が語る北京への道

  • 辛仁夏●文 text by Synn Yinha
  • 能登直/JMPA●撮影 photo by Noto Sunao/JMPA

初出場の北京五輪で銀メダルを獲得した鍵山優真初出場の北京五輪で銀メダルを獲得した鍵山優真この記事に関連する写真を見る佐藤操さんに聞く(後編)

――振付師である佐藤操さんがコーチ役を務めたことで、鍵山優真選手の表現という点で何か変化はありましたか。

「ジュニア時代に海外の試合に行くと、優真のほうがジャンプは上手なのに、ものすごく踊れる子たちがいるんです。そういう子たちとふれ合って、ますます踊ることが好きになり、表現したいという思いが生まれて『僕だって負けないぞ』というのがジャンプとスピン以外にも出てきたんです。

『曲がかかったら踊るぐらいじゃなきゃダメなのよ』と言ったら、一緒に買い物でスーパーに行っても、海外なので店内のBGMにいろいろなロックがかかっていて、それに合わせて踊るんです。その踊りは『誰から教わったの?』というぐらい愉快なもので、本当にたくさん笑わせてもらいました。『この子、こんなにサービス精神が旺盛だったんだ』と思ったくらいです。

 海外遠征では1週間をともにするので、スケートの話ばかりしていると、お互いにうんざりしてくるわけです。でも、スケートでしかつながっていないので、最終的には私のジャンルである踊りの話をすることになって、『先生はどういうのを踊った?』『優真だったらこういうのが似合うと思うよ』というような話をよくしていました」

――佐藤さんの提案で、シニアデビューシーズンの途中、ローリー・ニコルさんにプログラムを作ってもらうことになりました。なぜローリーさんに振り付けをお願いしたのでしょう。

「ひとつはジュニア最後のシーズン、優真がすごくいい成績を出したんです。私はあくまでも鍵山先生の代行コーチとして、コーチIDをもらって海外に行くわけですが、そうすると、いろいろな振付師の先生からナンパされるわけです。『僕にやらせて』みたいなことを言ってくるんです。いよいようちの優真もこんなに海外の先生から注目されてきたんだとうれしかったし、でもそのプログラムは私が振り付けしたんだよなと思って、『全く失礼だな』とか思いながら(笑)。

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