日本ボクシング世界王者列伝:村田諒太 五輪王者からプロの世界王者へ 偉大な階級で偉大な王者と渡り合った歴史的功績 (3ページ目)
【ゴロフキンと真っ向勝負の末に】
プロボクサー・村田の厳しい道のりはまだ終わらなかった。新型コロナウイルスによるパンデミックが世界を直撃する。インドアのスポーツイベントは観客動員がままならず、壊滅的な影響を受けた。村田は戦いたくても戦えない日が続いた。
陣営は世界一の観客動員力を誇っていたサウル・"カネロ"・アルバレス(メキシコ)との対戦実現に奔走したが、スケジュールが折り合わず、いつか話題に上らなくなった。すでに35歳とキャリア終盤にあった村田には試合が必要で、カルロス・モンロー(アメリカ)という不敗の若手がリストアップされることもあったが、これもコロナ禍のなかに流れて消えた。
空白は2年も続いたあと、ようやく正式に発表されたのがゲンナジー・ゴロフキン戦の日本開催だった。WBA王者の村田とIBF王者ゴロフキンの王座統一戦という形で行なわれる。このライバルはアルバレスに負けず劣らずのビッグネームだ。暫定(WBA)を加えれば世界戦18連続KO勝ちをマークしたこともある。数字だけではなく、まるで鉄製グローブをはめて戦っているかのような、圧倒的なハードパンチで人々を怖れさせた。また、2004年アテネ五輪で銀メダルを獲得しているように、堅調なテクニックの持ち主である。史上屈指であって、現役としては世界で最も危険なKOアーチストが日本にやってくる。ファンは沸き立たずにおられない。
2022年4月9日、さいたまスーパーアリーナは異様の静寂のなかで、このビッグマッチを迎えた。歓声自粛の号令下、たまにこらえきれない、うなり声が湧いても、そのとき以外、巨大なアリーナに響くのは、リングのきしみ、かわされる打撃音のみ。静かでも膨大な熱気をはらむ強打戦が粛々と進行していく。
1日前に40歳になったゴロフキンはやはり強かった。村田が見せる懸命な攻撃を跳ね返していく。そして、9ラウンド2分11秒、ゴロフキンの右強打に村田は崩れ落ち、タオル投入のTKO負けとなった。敗者には何もやるな。それが、プロボクシングの世界の鉄則だとしても、村田は立派な敗戦だったと称えたかった。
この試合を最後に引退した村田は現在、解説者としてボクシング中継に登場する。経験者としての展開、技術の肉づきのいい解説に加え、ボクシングマニアらしい広汎な知識、多彩な分析が加わり、もっとも優れたコメンテーターとして評価されている。
●Profile
むらた・りょうた/1986年1月12日生まれ、奈良県奈良市出身。中学生の頃、奈良工業高校(現・奈良朱雀高校)でボクシングを習い始め、南京都高校(現・京都廣学館高校)に進んで高校5冠制覇。東洋大学時代には全日本選手権優勝を始め、海外の大会に出場した。卒業後、いったん競技から離れるが、1年半後に再起し、2011年世界選手権銀メダル。翌年のロンドン五輪で金メダルに輝いた。プロでは2度、WBA世界ミドル級王座を制覇。183cmの肉厚の長身でパワーファイトを最大の持ち味にした。プロ戦績は19戦16勝(13KO)3敗。心理学、哲学の書籍を読み込んで、自分と向き合う知性派ボクサーとしても知られた。
著者プロフィール
宮崎正博 (みやざき・まさひろ)
20歳代にボクシングの取材を開始。1984年にベースボールマガジン社に入社、ボクシング・マガジン編集部に配属された。その後、フリーに転身し、野球など多数のスポーツを取材、CSボクシング番組の解説もつとめる。2005年にボクシング・マガジンに復帰し、編集長を経て、再びフリーランスに。現在は郷里の山口県に在住。
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