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【プロレス】藤原喜明が明かす「藤原組」でのギャラ下げ交渉と解散危機 船木誠勝や鈴木みのるらの退団は「ホッとした」 (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

【船木らの退団でふたりになった藤原組】

 ドームから2カ月後の12月だった。藤原と団体の方向性に決定的な亀裂が生じ、船木、鈴木みのる、冨宅祐輔(現・飛駈)、高橋和生(現・義生)、柳澤龍志が退団した。最後の話し合いを、藤原はこう振り返る。

「あんまり覚えてないけどな......アイツらが『辞めます』って言った感じだったかな。それで、道場のロッカーを全部引き上げたんだ」

 船木ら主力選手の退団で、所属選手は藤原とデビュー1年目の石川雄規のふたりになった。団体存続の危機を避けるために、船木たちを引き留めることはしなかったのだろうか?

「引き止めるわけねぇだろ。俺は、ホッとしたな。さっきも言ったけど、俺は団体をよくしてやろうと思って身銭をバンバン切ってるのに、態度だけデカくなって、『こいつらに投資してもダメだ』って思ったからな」

 藤原が団体の経営者になったことで、道場で練習に参加する回数が減ったことも亀裂の一因とも指摘された。

「俺はな、東京ドームの大会で、ひとりでチケットを1000万円分くらい売ったんだよ。練習なんかできるわけない。俺の一番嫌いな営業をやってな、頭下げて手売りしたんだよ。練習よりそっちのほうが100倍も200倍も苦痛だよ。一生懸命売ってんのに、『組長は練習に来ない』って陰口言うなんて、ふざけんな! って話だよ」

 試合のスタイルも、選手と藤原の間で方向性の違いがあったという。

「俺らがやっているのは格闘技なんだよ。だいたい、道場で俺に勝てないヤツが試合で勝てるわけねぇだろ。だけど、俺はスパーリングやると『強くなったな』って持ち上げてやってたんだ。それを、すぐその気になって勘違いしたんだな」

 ふたりだけになった藤原組は、年が明けた1993年1月16日、後楽園ホールで大会を開催した。だが、船木、鈴木らの退団で事前に対戦相手が決まらない異常事態での興行になった。

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