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【プロレス】藤原喜明は「君程度(きみていど)」と言われて新日本を退団 新生UWFに移籍し、6万人動員の東京ドームで迎えた異種格闘技戦 (4ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

【トランクスで闘った理由】

 この試合で藤原は、通常の黒のショートタイツではなく、キックボクサーやムエタイ選手が着用するトランクスを身に着けて闘いに挑んだ。

 藤原がトランクスでリングに上るのは異例だった。「異種格闘技戦への対策か?」といった憶測が流れたが、真相をこう明かした。

「家で支度をしていたら、いつものタイツにほころびがあったんだよ。『あぁ、これは使えねぇな』って思ったけど、面倒くさいから『これでいいわ』ってキックボクシングのトランクスを持って行っただけなんだ。当時、キックのジムでも練習してたからな。特別な意味はないんだよ。

 見ているお客様にいろんなことを想像させて、思い込ませるのがプロだからな。着るものを変えるだけで、ファンはいろいろ考えてくれるんだよ。あの時もいろんなことを想像してくれて、ありがたかったな」

 試合ではフライの蹴り、パンチに苦戦。それでも2ラウンドにミドルキックをキャッチすると、スタンディングのままアキレス腱固めを極めて勝利した。

「フライは体がデカイし、筋肉もすごかったな。力も半端じゃなく強かったよ。だから、『長引かせちゃいけない』と思ったんだ」

 2ラウンド37秒の勝利に、東京ドームは大歓声に包まれた。リング上の藤原の目に、光るものがあったが......。

「俺が泣いた? 泣くわけねぇだろ。目にゴミが入ったんじゃないの? フフフ......。俺が人生で泣いたのは、おふくろが死んだときだけだ。俺が思うに男ってのはな、泣いていいのはおふくろが死んだ時の1回だけ。だから、見間違いだろ」

 新生UWFは、東京ドーム大会後も勢いが衰えず、興行も経営も順風満帆......と思われていた。しかし、1990年の秋、団体は選手とフロントが分裂することになる。

(敬称略)

つづく

【プロフィール】

藤原喜明(ふじわら・よしあき)

1949年4月27日生まれ、岩手県出身。1972年11月2日に23歳で新日本プロレスに入門し、その10日後に藤波辰巳戦でデビュー。カール・ゴッチに師事し、サブミッションレスリングに傾倒したことから「関節技の鬼」として知られる。1991年には藤原組を旗揚げ。現在も現役レスラーとして活躍するほか、俳優やナレーター、声優などでも活動している。陶芸、盆栽、イラストなど特技も多彩。

【写真】 ケンコバのプロレス連載 試合フォトギャラリー

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