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【プロレス】藤原喜明は「君程度(きみていど)」と言われて新日本を退団 新生UWFに移籍し、6万人動員の東京ドームで迎えた異種格闘技戦 (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

【猪木との一騎打ち後にUWFへ】

 3月16日、横浜文化体育館。試合は第一試合での一騎打ち。この一戦が第一試合になったことには理由がある。猪木が2月22日の両国国技館大会で長州力にピンフォールで敗れ、同25日の沖縄・奥武山体育館大会から、原点回帰として第一試合で試合を行なっていたためだった。

 試合は、伝統的な新日本のストロングスタイルの原型とも言えるグラウンドでの攻防に。最後は猪木の卍固めで、藤原は敗れた。

「第一試合だろうがメインイベントだろうが、猪木さんは猪木さんで、俺は俺だよ」

 猪木とのラストマッチを終えた藤原は、新生UWFへの移籍を発表した。同じく新日本から欧州へ武者修業中だった船木優治(現・誠勝)、若手の鈴木実(現・みのる)も退団してUWFに入団した。ふたりは藤原とスパーリングを重ねていた"師弟関係"でもあったが、弟子たちの退団と移籍に関わったのか。

「俺は小賢しいことは嫌いだし、そんなことやるわけねぇだろ。だいたい、俺は人にものを頼むってことを知らねぇからな」

 新生UWFの1年目の所属選手は、前田を筆頭に6人。そこに藤原、新日本の次代のエースとして期待されていた船木、急成長していた若手の鈴木が加入し、団体の飛躍が期待された。

 その3人は、4月14日の後楽園大会に登場。藤原と船木はあいさつのみだったが、鈴木はいきなり安生洋二と対戦して敗れた。藤原の移籍初戦は、5月4日の大阪球場大会。対戦相手は船木だった。

 その大会は主催者発表で超満員の2万3000人と、UWFとしては第一次を含めて過去最高の観客を動員した。そこで藤原は、ヒザ十字固めで船木を破った。船木は前座時代から、試合前に藤原とスパーリングを重ねていたが、そんな教え子との一戦に感慨はあったのだろうか。

「『成長したな』とは感じたけど、それくらいだよ。そもそも俺は、アイツを教え子だとか弟子だとか思ってねぇ。俺としては技の研究相手なんだよ」

 新生UWFの試合は、基本的に月1回。全国各地を巡業し、年間200試合近くを行なっていた新日本時代とは激変した。

「確かに試合数は違って、練習する時間は増えたけど、俺自身は何も変わらないよ。与えられた仕事を、一つひとつ一生懸命にやるだけだ」

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