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【女子プロレス】荒井優希が振り返る"後ろ受け身キャンセル界隈"からの進化 アイドルとの二刀流時代には偏見との闘いも (2ページ目)

  • 尾崎ムギ子●取材・文 text by Mugiko Ozaki

【「違うことをしてみたい」とアイドル志願】

 荒井は1998年、京都府に生まれた。山が見えるのどかな田舎町で、伸び伸びと育った。

 家族は父、母、ひとつ下の妹。母がピアノの先生で、幼稚園の頃にピアノを始めた。そのほかにもクラシックバレエ、習字、塾、水泳、体操教室と、さまざまな習いごとに通う。どれも自分から「やりたい」と言ったが、主体的ではなかった。

「仲のいい友だちがやっていると、やりたくなっちゃう。昔から人に影響されやすくて、自分の意志があまりないんです。将来の夢も『お花屋さん』『ケーキ屋さん』って言ってたけど、みんながそう言ってたからです」

 運動神経は人並みだったが、小学3年でドッジボールの強いクラスに入ったことで球技に目覚め、4年でバレエのレッスンを増やしたことで、突然足が速くなったという。その内容以上に際立っていたのは、段階を踏まず、結論に飛ぶ語り口だった。「天才肌ですよね」と言うと、「ポテンシャルだけでやってます」と彼女は自嘲気味に笑う。

 自他ともに認める天才肌でありながら、「ちゃんとポンコツ」でもあるという。友だちの影響で中学受験をし、私立の中高一貫校に入学。テニス部に入ったが、足が速かったために陸上部の大会に出ることになった。リレーに出場したあと、高跳びにも出ることになり、先輩のスパイクを借りた。するとバーに届く前に転んでしまい、血だらけになって終わった。

 こうした出来事も含めて、どこかちぐはぐで、しかし流れに身をまかせるように物事が進んでいくのが荒井の特徴でもある。

 中学3年の夏、友だちに誘われて京セラドーム大阪で開催されたAKB48のコンサートを観に行った。そこで「第1回 AKB48グループ ドラフト会議」の告知があった。中高一貫校で進路は確定していたが、「違うことをしてみたい」と思った荒井は、ドラフト会議に応募することを決める。

 やるなら中途半端にはやりたくない。環境を変えたかった。どのグループに入りたいか希望を出す際、荒井はあえて家から遠い順に書いた。第一志望は一番遠い東京のAKB48。第二志望は博多のHKT48。次に名古屋のSKE48。最後に地元関西のNMB48。結果、SKE48 Team KⅡに第4巡目で指名され、SKE48メンバーになる。名古屋の学校に転校し、新たな人生をスタートさせた。

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