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【証言・棚橋弘至】内藤哲也が明かす憧れのレスラーとの距離 「倒すべき対象として見るようになってからは...」 (4ページ目)

  • 井上崇宏●取材・文

── その答えが見つかっていないということが、内藤さんの迷走期とも重なるというか。「ヘイトも人気のうちだ」と思えるのは、今だからこそですよね。

内藤 そうですね。当時はブーイングとか批判的なことを言われるのが嫌で嫌でしょうがなかったけど、ロス・インゴベルナブレスと出会ってから「それって要するにみんなオレのことを見てるんでしょ?」って思えるようになれて。そこまでが本当に長かった。

── 棚橋選手以外で、内藤さんの目に留まった選手ってほかに誰かいますか?

内藤 いないです(キッパリ)。結局、プロレスは新日本しか見てなかったので、棚橋が新日本からいなくなったら、じゃあ誰を推そうかって考えたかもしれないけど......ほかに誰がいいなとか考える余地もなく、完全に棚橋推しでしたね。だからどの大会に行っても、棚橋が出ている試合がオレのなかでのメインイベント。たとえそれが6人タッグだろうと8人タッグだろうと、棚橋弘至の試合を見に行ってるんで。

── す、すごい......!

内藤 しかも若手時代は、自分の試合が終わったあとにセコンドに就くから、エプロンサイドで試合を見ている棚橋をオレが見てるみたいな。後楽園ホールって、昔はお客さんが外階段からも退場できたんですけど、ベンチプレス台とかが置いてあるから見張りとして若手が立っていたんですよ。そこに棚橋か井上か柴田の誰かが立っていて、オレは後楽園に行ったら必ず外階段から退場して、身体のサイズをチェックしていました。

── 自分と比較しながら。

内藤 「腕はこれくらいの太さか......」みたいな。棚橋が立たなくなってからも、その後の世代の若手が立っている時はチェックして、「これくらいか。よし、オレも入門できるかな」みたいなことをいつもしていました。懐かしいですね。

つづく>>


内藤哲也(ないとう・てつや)/1982年6月22日生まれ。東京都出身。2005年、新日本プロレスに入門し、06年にデビュー。08年10月に裕次郎とのコンビでIWGPジュニアタッグ王座を獲得。メキシコ遠征を経て、10年1月4日の東京ドーム大会、同コンビでIWGPタッグ王座を手にした。13年の「G1クライマックス」で棚橋弘至を破り初優勝。16年4月にはオカダ・カズチカを破り、IWGPヘビー級王座を初戴冠。同年度の「プロレス大賞」で最優秀選手賞(MVP)に輝いた。20年の1月5日の東京ドーム大会でオカダを破り、史上初のIWGPヘビー級&インターコンチネンタルの二冠王者になった。25年4月、新日本プロレスを退団した。

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