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【証言・棚橋弘至】内藤哲也が明かす憧れのレスラーとの距離 「倒すべき対象として見るようになってからは...」 (2ページ目)

  • 井上崇宏●取材・文

【あの人は倒さなきゃいけないんだ】

── ちなみに原付だと、どのあたりのエリアまで見に行かれていたのですか。

内藤 基本的に関東の大会は全部攻めていて、一番遠いところが栃木の黒羽かな。そのあと50ccからビッグスクーターに乗り換えました。ビッグスクーターは高速に乗れるから行動範囲が延びて、2003年8月12日に静岡での蝶野正洋vs棚橋弘至のG1公式戦を見に行ったんですよ。だけど途中で居眠り運転をしてしまい、トラックに突っ込んじゃって......。でも、そのあとタクシーで会場に行きました。

── 危ない!

内藤 危うく死ぬところだった。棚橋弘至に殺されかけました。

── それは言いがかりです(笑)。ファン時代からそこまで強い憧れを抱いていたんですね。

内藤 憧れの対象は、完全に棚橋弘至でした。ただ憧れではあるんだけど、自分もプロレスラーになると決めていたので、「あの人は倒さなきゃいけないんだ」と、倒すべき対象として見ていたから、会場ではあまり近寄らないようにしていました。でも、オレの地元である東京都足立区の東京武道館で新日本が試合をした時、地元で見るのは初めてだったから、棚橋の入場の時は一応そっちまで走りました。

── 自分のテリトリーということで、特別に(笑)。

内藤 基本的にサイン会とかにも並ばないんですが、一度だけオレが新日本に入門する直前に両国国技館で棚橋がサイン会をやったので、「入門する前だからいいかな」と思って、その時だけサインをもらいました。で、そのTシャツをカバンに詰めて新日本に入門しました。「いつかこれを着よう」と思ってたけど、結局、着る機会はなかったですね。

── そのTシャツはいまも持っているのですか?

内藤 絶対に捨ててはいないので、どこかにあるでしょうね。それでオレは2005年の12月に入門して、2006年の5月にデビューしたんですけど、その2カ月後の7月17日に棚橋は月寒で初めてIWGPを獲って。

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