【証言・棚橋弘至】柴田勝頼が明かす盟友との28年 入門テスト、とんかつ事件、新闘魂三銃士... (2ページ目)
【寮生活が育んだ棚橋弘至との距離感】
── 棚橋選手いわく、若手時代は本当に柴田さんとは仲がよかったと。
柴田 そう言ってましたか。若手時代のエピソードとして印象に残っていることがあって、当時寮生活をしていた時、ちゃんこを作ってくれる"太(ふとり)さん"っていう管理人さんがいたんですよ。
ある時、その太さんが「おまえら、かつ、揚げたるから食え」って、熱々のとんかつを揚げてくれて、棚橋くんも一緒に食べてたんです。それで太さんが「どうや? 美味いか?」って聞いてきて、棚橋くんが「はい! おいしいです!」って答えているんだけど、揚げたてのとんかつの衣を全部剥がして肉だけを食ってて。
── あー(笑)。当時からそれくらい肉体づくりの意識が高かったんですね。
柴田 それを見た太さんから「おまえには二度と揚げたらん!」って怒られたという、とても棚橋くんらしいエピソードです(笑)。あと寮で真壁(刀義)さんと棚橋くんと自分の3人が同じ部屋だった時期があったんですよ。その頃、それぞれが自分のエリアの壁に好きなポスターを貼っていて、真壁さんのところはグラビアアイドル、棚橋エリアにはボディビルのロニー・コールマンとかドリアン・イェーツ、それで自分のところはブルース・リーで。
── 貼ってあるポスターで、それぞれのキャラクターが早わかり(笑)。
柴田 三者三様でわかりやすかったです(笑)。いやぁ、こうして話しているとなんか懐かしくなるな......。
── 棚橋選手とは同日デビューでもありますよね。そこからずっとお互いによきライバル、よき仲間として切磋琢磨するなかで、4年後には中邑真輔選手が新日本プロレスに入門してきます。
柴田 中邑が入ってきたことで、自分たちの関係性がめちゃくちゃ複雑になりましたね。中邑は自分と同学年で、同じくレスリングをやっていた。だけど向こうは大学までレスリングをやったので、新日本では自分の4年後輩という形になって。
── なので、中邑選手は「柴田さん」と呼ばなければならない。確かに棚橋選手との関係性よりも、さらに複雑になりましたね。
柴田 だけど、中邑はわりと最初から会社からスーパールーキー扱いをされていたので、ほかの新弟子とは少し違うぞという感じがあった。そんな3人のなかで自分が一番先輩になるわけだから、そりゃもう複雑なんてもんじゃなかったです。
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