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【プロレス連載】全日本、新日本のレジェンドたちと渡り合った越中詩郎 元東スポ記者が、現役にこだわる理由を明かした (4ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi

――50年近く前のメキシコ時代の記録などは、残っているのかどうか......。

柴田:どうでしょうかね(苦笑)。メキシコでは1日に2試合戦うダブルヘッダーも当たり前で、時にはトリプルヘッダーもあったようですからね。

――記録残っているといいですね。

柴田:本当にそうですね(笑)。

――次世代のレスラーについては、どのように見ているのでしょうか。

柴田:越中選手は多くの若手レスラーに期待を寄せています。特に、ストロングマシーン・ジュニア選手については「お父さんを超えられるかもしれない」と高く評価していました。

――ヒップアタックと並んで、越中選手と言えば「やってやるって」という言葉が代名詞になっていると思います。ただ、ご本人は「俺は言ってない」と力説しているとか。

柴田:越中選手はそう言うんですが、私は聞いたことがある気がします(笑)。それが広まったのは、ケンドーコバヤシさんの影響でしょう。越中は自分のものまねをしてくれるケンコバさんに感謝しています。「みなさんが『やってやるって』で、喜んでくれるのなら、こんな嬉しいことはない。彼のおかげでもあるよね」と繰り返し言っていますよ。

――同級生でもある越中選手は、柴田さんにとってどのような存在ですか?

柴田:越中詩郎という男は本当に貴重な存在です。20歳でデビューし、47年以上のキャリアを積んできました。プロレス界の激動の時代を経験し、多くのレジェンドたちと交わり、そして今なお現役を続けている。全日本プロレスと新日本プロレスを股にかけ、過去のレジェンドレスラーたちと直にリングで闘ったり、タッグを組んだりしてきただけに、多くの真実を知っています。

 しかし、その多くを語ろうとしない。YouTubeチャンネルを立ち上げてその真実を話してほしいと願うファンは多いでしょう。しかし、軽々しく語ろうとしない、そうした姿勢こそが「サムライ」たる所以なのかもしれません。

【プロフィール】

柴田惣一(しばた・そういち)

1958年、愛知県岡崎市出身。学習院大学法学部卒業後、1982年に東京スポーツ新聞社に入社。以降プロレス取材に携わり、第二運動部長、東スポWEB編集長などを歴任。2015年に退社後は、ウェブサイト『プロレスTIME』『プロレスTODAY』の編集長に就任。現在はプロレス解説者として各メディアで記事を掲載。テレビ朝日『ワールドプロレスリング』で四半世紀を超えて解説を務める。ネクタイ評論家としても知られる。カツラ疑惑があり、自ら「大人のファンタジー」として話題を振りまいている。

【写真】 ケンコバのプロレス連載 試合フォトギャラリー

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