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【プロレス連載】全日本、新日本のレジェンドたちと渡り合った越中詩郎 元東スポ記者が、現役にこだわる理由を明かした (3ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi

――越中選手と言ば「ヒップアタック」です。他にもヒップアタックを使う選手は多くいますが、それを越中選手はどう見ているのでしょうか。

柴田:彼は自身の代名詞であるヒップアタックを、他の選手が使うことを歓迎しているようです。これは、彼がプロレス界を盛り上げたいというサービス精神の表われでしょう。

――ライバルである髙田延彦選手とはどのような関係でしたか?

柴田:UWFとして前田日明、髙田延彦、山崎一夫、藤原喜明、木戸修が新日本に戻りましたが、髙田の蹴りを真っ向から受ける越中選手の姿に胸を躍らせるファンは多かったですよね。越中選手自身、「高田の蹴りはすごい」と技術を高く評価していた。ふたりの試合は"ジュニア版名勝負数え唄"と言われ、越中人気が急上昇しましたね。

――髙田さんはその後、ヘビー級に転身し、1995年10月9日にUWFインターと新日本の対抗戦が行なわれました。大将戦で武藤さんに敗れますが、翌年1月4日の東京ドームでリベンジ果たします。越中選手はその髙田さんに立ちはだかり、同年3月1日にヘビー級同士のふたりが激突しました。

柴田:越中選手は、この時の髙田についてひと言、「髙田は髙田だったよ」と。多くを語ることはありませんでしたが、その言葉の裏には、お互いに認め合いながらも複雑な関係性があるのがうかがえました。

【永久不滅のサムライ哲学】

――60代後半になっても現役を続ける越中選手。そのモチベーションは何なのでしょうか。

柴田:彼は、「自分はまだ"レジェンド"ではない」と考えているようです。現役として試合に出続け、新しい世代のレスラーと対戦することが、彼のプロレス哲学です。

――年間でどのくらいの試合数に出場していますか?

柴田:「オファーをもらった大会は出場する」と張りきっています。「これまで4000試合以上はこなしている」と胸を張っていますよ。正確な記録は残っていないそうですが、もし記録をつけていたら、生涯で何試合戦ったのか......。デビューからのすべての試合記録をまとめるのが、彼が成し遂げたいことのひとつだそうです。

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