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佐竹雅昭が振り返る「剛腕」ベルナルドのパンチ力 K-1初のドーム興行でのジャパングランプリは「正直、楽だな」 (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

【空虚感を抱くなかで登場したフィリォ】

 この日本人最強を決める「ジャパングランプリ」の成功などから、K-1は1998年秋から、日本人戦士を主役に据える「ジャパンシリーズ」をスタートさせた。日本テレビとフジテレビ、二局で放送することになり、視聴率を稼ぐ有力コンテンツとなった。ただ、佐竹は冷静に見ていた。

「ジャパングランプリを立ち上げたのは、K-1がフジテレビにコントロールされすぎてきたので、1993年の最初の大会のように、経営者側が主体のK-1をやりたかったからだと思いますよ。ただ、僕の心は冷めていました。もちろん試合が決まれば、戦いに挑むべく燃えてはいるんです。だけど、(ドン・中矢)ニールセンとかウィリー(・ウイリアムス)、リングス参戦とか、プロになってからK-1までに感じていた面白みが薄れてきてましたね。

 それまでは、『苦しいことをしなくてはダメだ』という自分がいたんですが、特に復帰後は、K-1が"できあがって"しまっていて、自分が何もないところからやってきた燃え方とは違いました。テレビのゴールデンタイムとか、ドーム興行とか、人気が出るのは大事なんです。ただ、あの頃は外野からの声がうるさくなり、試合に集中できなくて......。格闘技というよりも、"見世物"感が強くなってきたように感じていました。

 僕は、テレビ番組に出ればおちゃらけていたけど、リングでは常に武道と向き合っていた。真剣にいきたかったんですが、集中できなくなってきていました」

 そんな空虚感を埋めてくれたのは「極真」だった。佐竹がジャパングランプリを制したナゴヤドームでは、当時の「極真会館」(松井派)で最強の外国人とうたわれた、ブラジル人のフランシスコ・フィリォが初参戦。相手はフグだった。

 フィリォは極真時代にフグに勝利しており、舞台をK-1に移しての"フグのリベンジマッチ"という側面もあった。大きな注目を集めた一戦は、フィリォが右フック一撃でフグを1ラウンドKOで下す衝撃的な幕切れとなった。佐竹も、それを興味を持って見つめていた。

「空手では最強のフィリォが、果たしてK-1でどういう戦いをするのか興味がありました。すごく体幹が強い選手で、アンディもその強みを生かして倒しましたね」

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