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追悼ジョージ・フォアマン 生前に取材を重ねたノンフィクション作家が振り返る、モハメド・アリとの絆、闘う牧師としてのリング復帰、隣人への愛 (4ページ目)

  • 林壮一●取材・文・撮影 text & photo by Soichi Hayashi Sr.

 だから忠誠心を叩き込まれたし、私自身、合衆国には感謝の気持ちでいっぱいだ。地元ヒューストンで犯罪に手を染めていた少年に、人生をやり直す機会をくれたのさ。そのうえ、19歳でオリンピックの金メダリストになることができた。愛国心が強いのは当然だよ。だから、反アメリカを唱え、徴兵を拒否したアリの思いが分からなかったんだ。

 とはいえ、拳を交え、やがて"人間・アリ"と接して『他者から愛されることが、いかに大事か』ということを学んだ。彼は人が好きだった。アリ以上に、他者から愛された人間っていないんじゃないか。カムバック後は、私もアリのように愛されるキャラクターになろうと努めた。アリからは、人を愛し、また愛されて、人生を楽しく生きろ、と教わったよ。あんなにエキサイティングな人は見たことがない」

【人間として"BIG"だった男】

 2018年3月のヒューストンには、前年の8月に当地を襲ったハリケーン「ハービー」の爪痕が至るところに残っていた。テキサス州では103名が命を落とし、被害総額は1250億ドルに上っている。

 ハービーが直撃した際、フォアマンは自身のユースセンターの扉を開け、「避難所として使ってくれ」と、被害に遭った人々を受け入れた。400人強がジョージ・フォアマン・ユースセンターで避難生活を送っている。

 フォアマンはひとりひとりに水や食料を用意し「どれだけ長くなってもいいので、ここを使ってほしい」と伝えた。

「被害に遭った方々は、2カ月くらいユースセンターで過ごしたかな。いつも共に生きているのだから、隣人としてベストな振る舞いをしたいと思っている。隣人たちのために、できることを最大限やる。人間にとって自然なことさ」

 2018年3月のインタビュー時、ユースセンターで避難生活を送っている人はもういなかった。フォアマンは、地元メディアに支援活動を取り上げられることを拒否していた。売名行為でやっているわけではなかったからだ。
 
 ジョージ・フォアマンは、ボクサーとして強かっただけではない。"BIG George"のニックネーム通り、人間として大きかった。そんな彼は、春を愛した。小鳥の囀(さえず)りに幸せを感じると話していた春に召された。

「私とアリとフレージャーは3人でセットだ」という言葉が思い出される。今、3名の拳豪は、黄泉の国で再会しているのだろう。

 合掌。

林氏とフォアマン、笑顔の2ショット林氏とフォアマン、笑顔の2ショットこの記事に関連する写真を見る

著者プロフィール

  • 林壮一

    林壮一 (はやし・そういち)

    1969年生まれ。ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するもケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。ネバダ州立大学リノ校、東京大学大学院情報学環教育部にてジャーナリズムを学ぶ。アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(以上、光文社電子書籍)、『神様のリング』『進め! サムライブルー 世の中への扉』『ほめて伸ばすコーチング』(以上、講談社)などがある。

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